競争の火蓋は静かに落とされた。足もとを灰まみれにしながら灰集めに夢中になり、すっかり袋はひとつ、ふたつと増えていく。昔より手も大きいからか、それとも、あのころよりも効率のよい方法を見つけられるようになったからか。いつのまにか予備の袋もなくなり、もういいか、と最後に口を縛り振り返ると、彼女が野生のパッチールとじゃれあっているのを見つけた。
目をぐるぐると回し、おぼつかない足取りのその子に手を伸ばす。その手は、不安げな母の手だった。これが、警戒心の強いサンドだったりしたら問題だが、パッチールは性格がおだやかな個体が多いから襲われる心配はない。それだからただ見守っていれば、彼女の腰ほどのまだら模様のポケモンは、差し出されたその手をおかまいなしに、いまだふらふらとその場で回っている。
「ダンス踊っているみたいね、上手」
その物言いがなんとも優しく、胸の奥でなにかが溶ける。
「危ないよ、転んじゃう」
絶妙なバランス感覚で立っているから、きっと平気だろう。けれど彼女はそれを知らない。ぐるんとバレリーナの要領で、とはいえもっと不恰好だがターンを決めて、またふらふらと。灰を被った草むらへ戻っていく。キイイと遠くで聞こえた鳴き声はおそらくエアームドだ。
彼女はパッチールの背を見送るようにずっとそちらをながめていた。
「ヨウコ」
ふり返る。その拍子に髪についた灰がはらりと落ちる。だが、まだ彼女の頭には降り積もった灰色の雪が残っている。ウパーのような目をしている彼女に近づいて、手を伸ばす。
「ついてる」
瞬間、びくりと揺れる体。丸みを帯びていた瞳の奥に、一抹の緊張が走る。そうだ、それは、不安、畏れ、嫌悪――。
「とれた」
ダイゴはそれでも微笑し、なにごともないようにして手を離した。触れた髪の柔らかさに目眩がしそうになったが、すべての感覚や感情を押し込んで、さて、と自分の服についた汚れを払った。
「本日のメインといこうか」
その後、立ち寄ったのは灰かぶりの道の先に建つ一軒家だ。ホウエンによくある瓦屋根に漆喰の壁。一見すると単なる民家だが、屋根も壁もよく手入れが行き届き玄関先には水を撒いたあとがある。火山灰が詰まりやすい雨樋も綺麗に整備がされていた。それから、ガラス製のドアベル。近づけば、中からはペコッ、と空気がはじけるような音が響いた。
ダイゴが幼いころから、変わらぬ音と景色だった。不思議そうにしている彼女を連れ敷居を跨ぐと、むっと熱気が肌を包んだ。
「ここは……」
そんなふうにきょろりと辺りを見渡す彼女にダイゴはにっこり笑い、「工房」の奥に佇む男性に声をかける。
「こんにちは、火山灰を集めてきました」
初老の男性だった。その声にはっと喜びの表情を見せたがすぐにダイゴの顔を見て目を丸くした。
「チャンピオン!?」
「ご無沙汰してます。急ですが、ガラス細工の制作をお願いしても?」
片手に掴んだ袋を掲げると、この工房の主人である彼は慌てて畳の間から土間へ下りてきた。息子だろうか孫だろうか、刈り上げ頭の少年も寄ってきてキラキラした目を向けてくる。
「自分と、それから彼女のぶんも」
「こりゃ大量」
おおと感心する横で、ペコポコと音がなる。少年の手にしていたあおいビードロだ。
「灰から、作れるんですか?」
彼女が訊ねる。たどたどしさを含んだ、きれいな音色。
んだ、んだ、とばかりに男性はうなずき、少年に、よーし見せてやんな、と言う。
「マグマと同じように、そこから生まれた火山灰もいわば鉱石だよ。えんとつやまの火山灰はとくにその質がよくて、とってもいいガラスの材料になるんだよね」
少年がとってきてくれた新たなビードロを彼女はまじまじと見つめている。少年と同じ青色のものだ。少年は隣でペコッとまたひと吹きし、得意げに鼻を掻く。
「ビードロでもいいし、ほかにもガラス細工のグラスとか置き物も作ってもらえるけど」
どれにする? ダイゴが訊くと、彼女は頬をほころばせながら、これで、とビードロを見つめたまま答えた。
「じゃあ、それを二つ」
「色は? あと、チャンピオンのほうはもうひとつ作れるくらいあるね」
主人の間延びした話し方は、いかにもホウエン出身らしい。それでは、と顎に手を当てると、悔しげな視線がすぐ近くから飛んできた。
意外と、負けず嫌い――そんなことを心に記して、ダイゴは小さな置き物をひとつ追加で頼んだ。
ガラスを作る工程はこうだ。採取してきた灰を1400度を超える熱で融解し、吹きやプレスで成形、のちに冷やす。だが、灰の量や作る色に合わせて、最初に調合が加わる。灰の分量が多いほど黒に近く、少ないとその他にけい砂やソーダ灰、石灰石などを加えるため透明度の高い青系のガラスができるわけだ。
さらに、工房では特殊な材料や技術を駆使することでポケモンの異常状態へ作用するビードロを製作することができた。ゆえにここがトレーナーたちの寄り道スポットであったのは、遥か昔からのことだ。
二人揃って「お任せ」の色を頼み、工房でひと休みをする。少年がペコポコと飽きずにビードロを鳴らす横で、シダケ産の緑茶を一杯。シダケはハジツゲや113ばんどうろと打って変わって、風向きの影響から火山灰が降ることなく空気の澄んだ場所だ。療養や避暑地としても有名であるが、おいしい茶葉を育てるにもうってつけの土地であった。
最近はいくらか茶葉農家ができた、などと風のうわさで聞いたか。そんなことをふと考えながらダイゴは唇を潤す。透き通った苦味の中に、感じるほのかな甘み。うん、美味しい。
彼女も、静かに湯呑みに口をつけて嘆息のようなかすかな息を洩らしていた。
お茶の美味しさも一時の慰み。工房内は、火を扱っていることもあり温度が高い。堪らずシャツの胸元と袖口のボタンを外すと、それとなく手首をなぞって右隣の彼女を見やる。
土間から繋がった上り框、二人ぶんほどのスペースを空けて座っている彼女はガラスが気になるのか、ダイゴには後頭部を向け窯に向かう主人の背を見つめている。手は膝の上で軽く合わせて、リラックスしているように見せかけ、相変わらず透明な線がそこには引かれている。とろりとした透明なシロップでも纏っているかのように。
どんな顔をしているのだろうとダイゴは気になった。肩は想像よりもはるかに小さく華奢で、みぞおちが疼く。あの一瞬を思い出して、またひとつ湯呑みに口をつけた。だが、声をかけた。
「見てみるかい」
振り返る。いいの? という顔だ。
「いいんですか」
ほらやっぱり、ダイゴは心の中で指先を鳴らしながら、「かまわないと思うよ」と微笑した。
先導となるよう立ち上がり、主工房へ向かうと想像どおり凄まじい熱気が肌を包んだ。「暑いね」眉を垂らしながら静かに進み、主人のもとへ歩み寄る。ちょうど、溶解炉からビードロの元となるガラスの種を取り出したところだった。
「見学しても、構いませんか」
ダイゴが言うと、主人は、んだんだ、と額に汗を垂らしながら嬉しそうに頷いた。もっと近くに寄んなよ、とヨウコに手招きし、特殊な容器に入った灼熱の液体を見せてやる。
「ここから成形だよ」
あかあかとしていて、まるで溶岩がそこにあるようで。ヨウコは釘づけになっていた。色素の薄い瞳を真っ赤に燃え上がらせながら、小さなマグマ溝をのぞきこみ、ごくりと喉を動かす。
そのうちに主人は棹の先端を中へ入れ、種を軽く巻きとると鷹揚な手つきで溶解炉へ戻した。少しして再びとりだすと、先端は先ほどよりも真っ赤に染まり中心から赫灼とした光がこぼれだしている。それが冷めないうちに息を吹き込んで、少しずつ膨らんでくるあいだにも垂れないように回して、また吹き込んでという作業を繰り返しているうちに、ガラスはみるみるうちに形を成していく。
「これは火山灰少ないやつだよ」
少年が手にしていた青いビードロよりも薄い、波打ち際のような色だ。実用性は必要ないから、透度を高くしてくれたのだろう。工房の照明にさえきらりと瞬く。
「きれい……」
隣で、ほうと感嘆の息が洩れて、ダイゴは頬を緩めた。
あっという間に出来上がったビードロを切り落として、それを彼女がまじまじと覗きこむ。
「次はお姉さんの、つくるよ」
新たに炉から溶けたガラスを用意して棹へ巻きつけたあと、先ほどとは別にすでに切り分けてあったガラスを先端につけた。そうして再び窯へ戻し溶かしていく。あかあかと光りだしたころに取り出して、息を吹き込む。少しずつ、少しずつ、音を鳴らすために薄さが勝負ともあって、グラスを作るよりも繊細な工程だ。
つい夢中になって見守っていると、綺麗な丸が出来上がる。それから底を再度熱して、平らに整える。
「空みたい」
完成したビードロを見つめて、彼女がかすかに声をうわずらせた。夜を感じさせる淡いラピスラズリ色と桃色のローズクォーツが見事に混じりあい美しいグラデーションを生み出している。朝焼けか、それとも夕焼けか。前のめりになってのぞくから、「危ないよぉ」と窘められヨウコは照れ臭そうに後ずさる。
彼女はどんなふうに生きてきたのだろう。ダイゴはふと、不思議になる。彼が知る世界の外で――そう、彼の知らない場所で生まれ、どのように成長してきたのか。そして、彼女の頑なに閉ざされた心の奥になにがあるのか。
びくりと指先に怯えた彼女の顔を思い出し口の中が乾く。だが、夢中になってビードロを見つめ、薄っすらと頬を紅潮させ目を輝かせている彼女を見ると、なにもかもどうでもよくなった。彼女が喜ぶ姿が、ただただ嬉しかった。
