洗濯を終えてからは、暇つぶしにポケモンセンターへと赴いていつものように雑誌を読んだ。
今回は、ポケモンだいすきクラブが発行しているというポップな表紙のもの。『千年の眠りから醒めるのはいつ?』というゴシップチックな見出しが特徴的だった。けれど、そこに載っていたポケモンは星型で、なんだかとても愛らしかった。『ジラーチ』と言うらしい。
ただ、そんな平穏で自堕落な日常も、時として呆気なく崩れる瞬間がやってくるものだ。ある日突然、この世界にやって来たように、あるいは、前触れもなく乗っていた船が転覆したように。
このときは、それがすぐそばに迫っているとは思ってもみなかったわけだが、確実に、あらぬ方向へと傾き始めていた。
「……石?」
なんとなしに浜辺を散歩していると、私は砂になにかを見つけた。波間に埋もれる小さな輝き。放っておいても構わないだろうに、まるで夏休みの少女に舞い戻ったようにそれに惹きつけられた。
裏がどろどろになるのも厭わずに、私はパンプスを脱いでザブザブと水に浸かる。思っていたよりも水は冷たかった。
打ち寄せる波に攫われる前に、砂を大きく掴む。ザザァン、容赦なく波が帰還し、その多くがこぼれ落ちていく中で、ひと粒、親指の先ほどの小石が残った。沖へもう二、三歩踏みいでて、水の中に手を浸す。落とさぬように指先でしっかりつまみながらその周りについた汚れを落とすと、茶色く透明な石が現れた。
「なにこれ、きれい」
砂糖を煮詰めたときの色に似ている。茶色と言うにはもっと明るく、黄色と言うにはもっと複雑な色。そう、言うなればたぶん琥珀色ってやつだ。
もしかすると、ホンモノ? とまじまじ眺めるも、琥珀といったら巷でよく出回る宝石の一種である。まさかこんなところでそんな代物を拾うわけがないとすぐさま自問自答する。割れたビール瓶などの破片が、海水に揉まれて丸みを帯びたのかもしれない。
空に翳しながら、その煌めきを覗き込んだ。
「すごい……」
表面に無数の傷はついているが、濃淡の異なるそのさまはさながら大地がそこに詰まっているようで。
なんだか特別なもののように思えて、私は大事にそれを抱えて家まで戻った。
「きれい……」
しん、と濃密な静寂の中、私は拾った石を眺めていた。窓からはオレンジ色の日差しが注いでいる。じきに暗くなるだろう。それでも、ただ茫然とソファに座り、その光に石を翳し続けていた。光の当たる角度により、大地が息を吹き返す。この世界ではじめて、手に入れたものだった。
「コハク、だね」
そのとき、背後から声が聞こえて私は飛び上がった。まさか、それほど夢中になっていたとは。
ころん、その拍子に石が手のひらから転がり、ラグの上に落ちる。
「ごめん、驚かせてしまって」
スッと長い指先がそれを拾う。視線をあげると、スリーピーススーツ姿の彼が立っていた。
銀色の髪が黄金に染まり、人差し指と中指と、それから親指でつままれたあの石と似たような煌めきが宿っている。だが、夕焼けが彼の顔の陰影を濃く映し出しているからか、久しぶりに見る彼はどこかくたびれたようにも見えた。
「……おかえり、なさい」
なにを言うでもなく、ただ情けなくそう口にした私に、彼はぱちりとまつ毛を揺らして、「ただいま」と小さく答えた。
「これは、どうしたんだい」
彼は石を光に翳して観察している。中を覗いたり、ぐるりと回してみたり、片目を閉じてそうする姿はさながら石の専門家といったところだ。
「海で拾ったんです」
「そうか、海で。嵐のあと、よく琥珀が漂流するという話は聞いたことがあるけれど、まさかトクサネで採れるとは。珍しいものを見つけたね」
阿諛するわけでもなく、自然と心のうちから感情が浮かび上がったような言葉だ。とはいえ、そう言われても私はただ、はあ、とうつけた返事を返すばかり。
「琥珀はもともと太古の樹木の樹脂が固化してできた有機物で、厳密に言うと鉱物ではない。それゆえかほかの鉱物に比べると比重がずっと軽くて、なかには海水に浮くものもあるんだ。それがこうして海流にもまれ、波にのり、長距離を移動してくる」
少しだけ早口で、話したいことが次から次へと喉をついてしょうがないといった感じ。いつもの秩序が保たれたものとはだいぶ違う。慈しむような、崇めるような、熱のこもったまなざしが琥珀に注がれてる。
たいていは海水によって海底から削出されたものがこうして漂着する。けど、その大半がどこから来たのかは一般人にはわからない。そう考えるととてもロマンがあると思わないかい。うん、まだら模様が素晴らしい。
陶然とそれを聞いていると、不意に彼がその自然の遺物から視線を外した。
「気持ち悪いだろう、よく引かれるんだ」
なにを言うかと思ったら。苦い思い出でもあるのだろうか、自嘲気味に瞳を伏せた彼はそれきり熱弁をふるうのをやめた。ただ、琥珀を眺めるのはやめなかった。横から、真上から、斜め下から。相当、石が好きなんだろう。
私の言葉を待つわけでもなく、さも一人で完結させるのが当たり前のように琥珀の観察を終えると、彼はそれを差し出してきた。
「大事にするといいよ。磨いたら立派な装飾品にもなるだろうし、いざというときのお守りがわりにもなるしね。あとは」
手のひらに載せられる、小さな大地。沈みゆく夕日にも、真っ赤に燃えるような太陽にも、それから目映い光の射し込む海中にも思えた。
「ひとの好きなものに、気持ち悪いもなにもないと思いますけど」
そっとそれを受け取りながら、彼の言葉を遮って呟く。
「だれかにとって大切なものなら、それを大事にしたいと思うのが、ふつうじゃないんですか」
彼は私の拾ってきた石を『そんなもの』と馬鹿にしなかった。それどころか、賞賛し、価値を与えてくれた。たぶん、こんなことを言う理由はそれだけで十分だったんだろう。
「あの真ん中の石、私は好きですよ」
大切にぎゅっと琥珀を握って、博物館並の立派なガラスケースを一瞥する。溶岩石のとなり石灰石の中に淡青色の水晶を抱いた鉱物。
きょとん、と豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔が、じわじわと明るくなる。
ああ、と頷いたあと、彼はジャケットを脱いでソファの背もたれに無造作に掛けた。そうして、私をもう一度見たあと、「おいで」となめらかな足取りで部屋の四隅に置かれたガラスケースまで進んだ。
「これは天青石って言うんだ。別名はセレスティン。その名のとおり、天空の儚さや悠然さを集めたような美しさで、ストーンゲッターの間では寝室に置いて眺めるのを楽しむのもいるんだ。これはとくに、ジオード――内部の空洞に鉱物が結晶化する現象が美しくてね。だけど、おもしろいことに燃やすと真っ赤な炎を出す。それは主に硫酸ストロンチウムという成分でできているからであって……」
日常は、時として呆気なく崩れるものである。まさか、こんなふうに彼と親交を深めることになるとは考えてもみなかったわけだけれど。
ガラスケースの鍵を開ける彼の顔はまるで宝の箱を開ける少年のようで、少しだけ悪くないなと思ったのは気のせいではないだろう。
