そうして始まった不可思議な同居生活は、思いのほか新鮮でもあった。彼女が世界をそう思っているからかもしれない。現代文明を目の当たりにしてヘーゼルの瞳をこれでもかと輝かせるさまは、ダイゴの中の子どもじみた優越感をやさしくくすぐった。
だが、同時にダイゴは気がかりであった。
「罪」であり「罰」だと言った彼女の言葉が本当であるとすれば、彼女は中世カロスの貴族の血を引いていることとなる。かつて、うつくしいほうせきポケモンと出会い、恋に落ちた一人の子爵の――そんな伝説の延長線上に彼は立っているのだ。
あの書物の中では、男が子孫を残したかどうかは述べられていないが、彼の立場上、たとえ真実の愛が引き裂かれたとして、血を繋ぐために親が結婚相手を連れてきたことだろう。貴族とはそうして家を残し、発展させていくものだ。
とはいえ、今となってダイゴの目の前におとぎ話を現実たらしめる存在が現れるとは、だれが想像していただろう。数百余年ものあいだ、鉱国の王がかけた呪いが解けずに今日まで残っているなど、にわかにも信じがたい話だ。
果たして、どのようして呪いは受け継がれたのか。遺伝か、それとも、偶発的ななにか、か。現代まで続く呪いであれば、ダイゴが耳にしたことがないほどその呪いが風化することはないはずなのだが。いずれにせよ、すべての鍵を握っているのは彼女ただ一人だ。
しかし、初日に「罪」であり「罰」だと告げて以来、彼女が必要以上を口にすることはなかった。
トクサネの狭い家から、避暑地として父が昔から所有していたシダケの別荘へ移って数日。ダイゴは彼女とともにミナモのデパートを訪れていた。
近くのカナズミやキンセツでもよかったのだが、デパートの大きさでいえば、ミナモがホウエン随一である。観光もろくにできていないようだからと、ダイゴなりに気を回した結果だった。
「なにか欲しいものはあるかい」
ストールを頭からかぶり、きょろきょろとミナモデパートを見渡す彼女にダイゴは声をかける。こうして隣を歩いていると、彼女が特異な人間であるとはまったく思えない。はたから見れば、異国からやってきた観光客程度の印象が強いだろう。出会いの瞬間以来、血液が結晶化する場面に立ち会っていない今、自分のほうが夢を見ていたのではないかと感じるほどだ。
「欲しいもの、は、とくに」
ストールの合わせを心許なく白い手で掴んで、やや俯きがちに告げる彼女にダイゴは微笑を向ける。
「遠慮することないよ。まだ洋服も買っていないんだから、それくらいは面倒見るさ」
なにかを手にとるでもなく興味津々に眺めているだけの彼女を見ると、おおよそ自分の読みは正しかったな、とダイゴは感じる。
ここには女性の好むものがそこかしこに置いてあるし、それに、ダイゴの馴染みの店もある。彼女が自ら選ばないのであれば、あれこれと騒がない店員に任せて見繕ってもらおうと思っていたのだ。
「そこのお店はどうかな」
「でも……」
「いいから。きみが選ばないとボクが選んでしまうよ」
そう言って近くにあった極彩色のワンピースを、「これは?」と手にとってみせると、彼女は不承不承服を選び始めた。
前開きのワンピースを何着か、それから肌ざわりのよいセットアップの部屋着。どれもがシンプルなつくりであり、彼女が頭からかぶっているストールの紋様に似合う趣がある。女性の買い物に付き合うなどこれまではあまりなかったが、彼女の潔さには好感が持てた。
「あとは選んできてくれるかい。ボクはここで待っているから」
さすがに恋人でもない女性の買い物にこれ以上付き合うわけにもいくまい。そう思いカードを渡して下着売り場へ彼女を押しやる。最後まで遠慮がちにカードを手にしていたが、ダイゴが肩をすくめて売り場から背を向けると、彼女は観念して煌びやかな店内に消えていった。
独りになり、穏やかなミナモデパートを目にとどめながらダイゴはため息を吐いた。
行き交う老夫婦にベビーカーを押した女性、恋人への誕生日プレゼントでも選んでいるのだろうか、近くのブランドショップを憂え顔でうろつく青年。紛うことなき現実のはずなのに、どこか幻想のただ中に立ち尽くしている気がする。
彼女がホウエンで過ごすあいだ、ひいてはダイゴのもとで身柄の安全を確保しているあいだは、彼が生活費のすべてを賄うつもりでいた。彼女はきっとことあるごとにルビーを手渡してくるだろうと予想がつくが、もちろん、それを受けとる気も今のところはない。ダイゴには見返りなどなくてもそうする余裕があるという理由もさることながら、なにより、彼が彼女になんでもしてやりたかったのだ。
彼女の存在を訝りながら、それでいて、彼女を守るという任務を果たすことが一種の快感になっているとは。まったく不思議なものだ。そう独りごちながら、ダイゴはポケナビを取り出しメール画面を開く。履歴からミクリを探し出して、「このあいだの話、どう思う?」と打とうとして、すぐにそれを消した。
今ここで、前を向いて歩きだしたら現実に戻れるのだろうか。ふとそんなことを考えたが、ダイゴの脚が一歩でも動くことはない。背を向けていながら、ランジェリーショップに消えた彼女を強く心の裡に感じる。
手持ちぶさたにポケナビを指で打って、ダイゴは下唇を軽く噛んだ。
自らの生を「罪」と「罰」だと言った彼女を、どうしたら助けてやることができるのだろう。そもそも、なにから助けてやればよいのか考えあぐねた。今こそ傾国の姫君を護るスパイごっこのようなことしているが、まったくそれが助けになるかもわからなかった。
彼女の言う「罪」と「罰」とは一体どういうことなのか。「罪」は、償えば消えるものなのか。その体が持つ力は「罰」であり、かつて一人の男が受けた呪いなのか。それならば、その呪いを解く方法はあるのか。
面倒ごとはできるかぎり避けるのが性分だった。それだというのに、もはやそれがダイゴの体の一部となってしまっているとは。
とん、とポケナビをまたひとつ指で叩く。
「ダイゴさん」
ハッと顔を上げたダイゴは、しばし時を止めた。
買えました、とはにかむ彼女が、まるで道端に咲く可憐な野花のように見えたのだ。
それからは上層階から一階ずつ下りて、必要なものを順に揃えていった。とはいえ、最低限の寝具や家具などは別荘に揃っている。彼女が見たいところを巡る小さな旅のようなものだった。
家具、インテリア雑貨、催事売り場と回って、とあるジュエリーショップで彼女は足を止めた。漆黒のスーツに身を包んだ店員と、整然と並べられたガラスケース、それからこの店にだけ設えられた柔らかな絨毯。彼女はひとつひとつを驚いたように眺めている。
「気になる?」
こっくり、頷いた彼女にダイゴは微笑して、臆することもなくショップに入った。
「少し見てもいいですか?」
立っていた店員に声をかけると、「ええ、ごゆっくり」とにこやかに会釈が返ってくる。こうしておけば、不必要に話しかけられることはない。準備完了とばかりにふり返ると、彼女はおろおろとストールの中で目を回していた。
今度は、まるで人間に見つかったラルトスだな。そんなことを思いながらその背にそっと手を添えて、ダイゴはショーケースに近寄った。
「好きに見ていいよ」
ボクも見るから、そう告げて少し離れる。彼女は不安そうに彼を見上げたが、やがてこっくり頷いてストールを手で押さえながら宝石たちを覗きこんだ。
己の体から宝石を生み出せど、彼女の育ってきた環境を鑑みるに、他の宝石をその目で見たことがないのだろう。森の中の人里から離れた生活とは、真逆の空間だ。
目映いほどにショーケースの中で煌めく宝石たちを眺めながら、ダイゴはひっそり目を眇める。
「ダイゴさんは、石がお好き?」
すずらんのそよぐ声に、ダイゴはやおら顔を上げる。
「ボク?」
金色にも、褐色にも見える複雑な虹彩が、じいっと彼を見つめている。ダイゴは小さく肩をすくめて、彼女の隣に並んだ。
「そうだな、こうして宝石になっているものもうつくしいとは思うけど、そのへんに転がっている石のほうが、ボクは興味があるかな」
「そのへんの石?」
こてん、と彼女の濡羽色の髪が揺れる。
「そう、そのへんの石」
ダイゴは苦笑しながら、たとえば、と適当にダイヤのネックレスを指差した。
「ここにある宝石を手にしたら、ただミナモデパートで買った宝石だろう? これはダイヤで、産地はイッシュ。なんの石かも、どこで採れたのかも、一瞬でわかってしまう。だけど、たとえば今ここに石が落ちているとしたら、なぜその石がここにあるのか、どんな種類でどのように時を経てきたか、よく調べてみないとわからない。そして、今日、君との買い物の末にそれを拾ったとすれば、君と見つけた石、という、これ以上にない価値が加わる」
きょとんと丸くなった瞳に、彼は参ったなと頭を掻く。
「まあ、なんだろうね。とにかく、そういう青臭いロマンが好きなのさ」
へえ、と感心した声が続いて、彼女は顔の横に落ちた髪を耳にかけ直す。その横顔は、どこか柔らかく微笑んでいるようにも見えた。
それからも穏やかな日々が続いた。なにをするわけでもない。ただ朝起きて、会社からのメールを確認するという日課を終えてから、リビングへ下りる。そうすると彼女が先に目覚めていて、おぼつかない手つきで包丁を握りながらキッチンに立っているから慌てて止めに入る。家では自分で料理を作っていたというが、ダイゴの想像よりもはるかに野生的な手つきに大いに不安を覚えたことは言うまでもない。
包丁を使わなくてすむようにトーストを焼き、目玉焼きとベーコンを添えて、ときに卵料理はスクランブルドエッグになったりハムエッグになったり、大きなテーブルの端と端に座って、まるで映画みたいだと笑いながら朝食を摂る。
朝食を終えてからは読書をしたり、庭でメタグロスたちの手入れを二人でしたり、昼食はサンドイッチを持って、遊びにきたスバメたちに餌をやりながら小さなピクニックを。
午後はまた読書をしたり、ときには流行りの映画をスクリーンで見たりと、なにも特別なことはなくとも、これ以上なく優雅で充実した日々を送っていた。
「なんでも願いが叶うとしたら、なにを願う?」
だしぬけに訊ねると、ソファで読書をしていた彼女がココドラを撫でる手を止めて顔を上げた。
「なんでも?」
「そう、これが食べたい、とか、どこに行きたい、とか」
ボクはそうだな、いつでもどこでも洞窟に繋がるドアが欲しい、顎に手を当ててダイゴは言う。きょとんとしたイーブイ顔の彼女に、彼はからりと笑って銀糸を揺らした。
「本当になんでもいいんだ。なんでも。古く伝わるランプがあって、それを撫でればあらゆる願いを叶えてくれる魔人が出てくる。さあ、どうする?」
彼女の手の中で、ココドラがどらどらぁと彼の願いを唱えるように鳴く。
「なんでも……」
呟く彼女に、ダイゴは、「そう、なんでも」と繰り返した。
長い睫毛を何度かしどけなく揺らして、瞳の中にシャンデリアの瞬きを泳がせる。やがて、彼女は桃色の唇をゆっくり開いた。
「太陽の下を、ほかの子と同じように歩きたい」
なんてことのない、あまりに平凡すぎる願いだった。だが、彼女の願いが唱えられた瞬間、頭の中で鐘が鳴った。言うなれば、運命の鐘だ。ゴーン、と重々しく荘厳な音色が響き、一切の音がその音色の向こうに消えた。
全身に小さな電流が駆け巡り、気がつけば、ダイゴは彼女の隣に勢いよく腰かけ、小さな手をとっていた。
「行こう」
ぱちり、ヘーゼルの双眸がダイゴの瞳の中で瞬く。
「カイナへ行こう」
彼女の手を掴み、ダイゴはそのまま庭へ出る。そうして腰のホルダーからボールを投げると、勇ましくひと鳴きしたエアームドに飛び乗った。
