ふくつのこころがほしいの

「ローラさん、そちらの数値どうです!」
 叫び声が聞こえる。ワイルドエリア北部、砂塵の窪地。吹き荒れるすなあらしの中、私たちはつい一時間前に発生した巨大発光を追って調査に出ていた。
「こっちはすでに正常みたい。そっちは?」
「こちらも特に異常はありません。移動したあとのようですね」
 エリア内をパトロールしていたリーグスタッフからの連絡だった。超巨大ダイマックスポケモンの発生、周辺の野生ポケモンに影響を及ぼし、ワイルドエリア内を移動中。幸いなことに一般人はおらず、急遽対応にはナックルシティよりジムリーダーのキバナがあたっているとのこと。
 しかし、そのキバナとも、すなあらしの悪天候により連絡がとれず、発生区域で足止めを食らっているところだった。
「発光の規模を見るに、相当なエネルギーを発していたようだけれど」
「あれほどの発光威力ですからね、きっとかなりの個体値でしょう」
 砂に目をとられぬようゴーグルをつけたラボ員が測定装置を片手に走ってくる。連絡を受けて急行したものの、到着したころには現場はすでにもぬけの殻だった。周辺区域を調べたもののポケモンの行方は知れず、発生原因や被害規模を確かめようにも確かめられない状況だった。
「ひとまず、この天候じゃ、これ以上は無理ですよ。……おっと!」
 風に足をとられよろめく同僚の手から装置を預かり、砂が細部に入らないようすばやくアタッシュケースへしまう。「それもそうね」と、退散しようとしたときだった。
 かすかに、ポケモンの鳴き声が聞こえた気がした。キインと甲高く、金属を打ったような音色。
 ――あれは。
「ごめん、先帰ってて!」
「あ、ちょっとローラさん!」
 すなあらしをアーマーガアのはがねのつばさで切り裂き窪地を抜けると、げきりんの湖にフライゴンの姿があった。
「キバナ!」
 低空飛行に切り替え、勢いを止めずに飛び降りる。アーマーガアはそのまま上昇し、陽光を浴びて勇ましく鳴き声をあげた。
「ローラ、おまえなんでここに」
「ダイマックスポケモンの報告を受けて、それよりその子」
 ゴーグルをつけたキバナの前にうずくまるのは、傷だらけのウォーグルだった。
「その、ダイマックスの主だよ。力を持て余したのか、制御不能になってたみたいだ」
「こんなになるまで……?」
「ああ、どうにかフライゴンとこっちに誘導してきたけど、えらく暴れまわってな」
 翼は折れ、純白のウォーボンネットの羽根さえ血まみれになっている。だが、警戒心が強いのか、それともまけんきの気質か、どちらにせよ誇り高い種族だ。ウォーグルは満身創痍の肉体を持ち上げて私たちを威嚇する。
「むやみに近づかないほうがいい」
 キバナは冷静に言う。「……そうね」と私もそれに従った。
 でも、このままでは危ない。いやしのはどうを使えるポケモンがいたらよかったのだけれど、腰につけたホルダーを撫でるだけで、前に立ちはだかるキバナの背から力なく目を逸らすことしかできない。
「どうにかしてポケモンセンターへ連れていくか、あるいは、処置だけでもさせてくれるといいのだけど……」
「この調子じゃ、厳しいだろうな」
 空の勇者とも称される彼らは、多くは山岳地帯に生息し苛酷な環境で生きているという。それゆえ、野生のウォーグルは獰猛な性格であることも多い。傷の数だけ勇敢とされ、時として死をも恐れず仲間のために飛び込んでいく。
 自然で起こるダイマックス現象の多くは、いまだ謎に包まれたままだ。新たなポケモンの進化の前兆だという人間もいれば、ポケモンたちの人間へのげきりんだという人間もいる。ガラル粒子という膨大なエネルギーによって引き起こされたその突然変異は、ポケモンの生態系や遺伝子自体を歪めるものだと警鐘を鳴らす人間も少なくはない。マグノリア博士が発見し長らくその現象は研究されてきたが、ガラル粒子がポケモンに及ぼす影響の行く先は我々にもわかっていない。
 ローズ元委員長の謀略により、件のブラックナイトが引き起こされそうになったとき、ガラル各地でダイマックスポケモンが暴走する事件が起きた。己の是非にかかわらず、ポケモンたちは巨大化し、暴れ、傷つけ、そして、深く傷ついた。
 このウォーグルがダイマックスし、力を持て余し暴れた原因がどこにあるのか。ポケモンたちは、自然発生するダイマックスをどう思っているのか。あれほど研究を重ねても、答えは手からすり抜け続ける。
 ――私は、なにをしたかった?
 ――なにをしたい?
「……おいで」
 ホルダーからキズぐすりを取りだしてウォーグルに見えるよう手に掲げた。
「おい」とキバナが咎めるが、それでも私はゆっくり歩みだした。
「だれも、あなたを傷つけないよ」
 いまだにウォーグルは強く警戒している。グウウと喉を鳴らし、尾羽を逆立て、首を重くもたげてこちらを鋭く射貫いている。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」
 私たち人間は、どうするべきなのだろう。ダイマックスがポケモンに及ぼす影響を、もたらす苦痛を、悲劇を、どれほど理解できているのだろう。
 これほどまでに傷ついたウォーグルを、私はどう思えばいいのだろう。
 ボールホルダーを外し、そして、カバンもおろし、キズぐすりさえも一度手放して、彼に近づく。ウォーグルは羽を広げ、低く唸った。ふりあげた拍子に起きた風が疾風となり刃となって頬を掠めた。
「ローラ、無茶だ」
 それでも、足を止めなかった。止められなかった。止めたくなかった。おねがいだから、私は必死にその子に懇願していた。
「そのままじゃ、あなた、死んじゃうよ」
 傷ついて、傷ついて、それでも戦わなくてはならない。羽を広げ飛び続けなくてはならない。そうだとすれば、せめて羽を休める場所を。
 高くふりあげた羽がふたたび風を起こす。鋭い鉤爪がふりかかる。しかし、それを身体に受けながら手を伸ばす。
「――だいじょうぶ」
 今、この瞬間、そうされたかったのはだれだったか。

「ほんとうに、無茶するやつだな」
 二の腕にきつく包帯を巻きながら、キバナは盛大にため息をつく。
「ごめん」
「笑いごとじゃねえから」
 ぐっと傷口の上を指で押され、「イタい!」と声をあげる。
「ひどい、キバナ、傷が開いた!」
「まだふさがってねえよ。ポケモンのキズぐすりは持ち歩いてるくせに、だれかさん、肝心な人間のは持ってねえからな」
 ひと言もふた言も多い。むっと唇を尖らせると、今度は絆創膏を乱暴に頬に貼りつけられた。
 ウォーグルの手当てを済ませた私たちは、湖のほとりでテントを立ててひと休みをしていた。上空では砂ぼこりが渦を巻き、変わらず砂塵の窪地方面ではすなあらしが吹き荒れている。
「でも、よかったのか。ラボに連れて帰らなくて」
 ダイマックス現象を起こし暴走化したポケモンがいる場合、保護をして研究所に持ち帰るのが慣しだ。しかし、そうはせず、今回、回復したウォーグルは野生にかえした。
「どうだろうね」と頬をかくと、キバナはまたしてもため息をつく。
「どうだろうね、ってなあ」
「ほんとうは、研究者として検査するのがいいんだろうけど、なんだか、わからなくなっちゃって」
 結局、ラボで保護したポケモンは自然にはかえせない。一度野生を離れたポケモンが元の群れに戻るには相応の努力が必要であり、研究の名のもと捕らえられた彼らはもとの生態系を崩す可能性を憂慮される。さらには苛酷な自然環境に再順応不可能な場合を考慮し、その一生を会社併設のアトリウムで過ごすことになる。近年はできるかぎり自然にかえそうとそうした保護プログラムや団体も増えてはいるが、たいていは人為的に傷つけられたポケモンの場合のみで、自然の摂理に逆らう、あるいは自然の摂理を崩す状況で保護したポケモンたちはそれぞれの団体が責任を持つことになる。
「すげえいいウォーグルだったのに?」
「たしかに、そう考えると損したかも」
 でも、やみくもに捕まえることが、人の、トレーナーの役目ではない。それに、ウォーグルの勇猛に空を飛ぶ姿を見たら、ああこれでよかったんだ、とふしぎと思った。
「ま、私にはアーマーガアもいるしね。相棒はたくさんいるから」
 ンッと首をひねると、キバナはそうかよと救急セットを片づけた。
 げきりんの湖でキャンプをするのは初めてだった。生息するポケモンが強いことから、並大抵のトレーナーではテントを張るどころか、降り立った先に現れるオトスパスに追い返されることがほとんどだ。キバナと付き合っていたころはヌメラがほしくて内緒で訪れることもあったが、それでも長く滞在したことはない。
 ジュラルドンと薪を集め、火を起こすキバナの姿はまさしく玄人のそれで、さすがはナックルスタジアムの主人であることを痛感する。
 先に帰るよう告げた同僚に連絡をとり、キバナと合流したこと、暴走したダイマックスポケモンは無事鎮まったことを伝え、携帯をしまう。
「ところで、キバナ、こんなところにいて平気なの」
 もちろん、それは私にも言えることだが、今はジムチャレンジ真っ只中。彼はチャレンジャーを迎え討つジムリーダーのひとりである。だが、キバナは飄々と、「まあな」とカレーの支度をするばかり。
「なにせ、オレさまの前に七人もジムリーダーがいるからな。今年はとくにアラベスクとスパイクのジムリーダー陣が、いっそう気合い入ってるみたいだし」
 それもそうかと納得する。毎年キバナにたどり着くチャレンジャーはひと握りだ。昨年は現チャンピオンに加え、ホップくんやマリィちゃん、さらにはビートくんなど数多く突破チャレンジャーが出たが例年そうであるとも限らない。
「それよりローラこそ、大丈夫なのかよ」
「私? 私は、まあ、今、連絡入れたから」
「そうじゃなくて、ラボ、荒らされたんだろ」
 それまで手元に視線を向けていたキバナが、一瞬こちらを見た。ああそのこと、と私は肩をすくめた。
「怪我人はゼロ、私もこのとおり。なんとかデータは全部バックアップしてあったし、一般人がアクセスできないよう暗号化もしてあったから、どうにか」
「あっそ。でも、顔、死んでるぜ」
 全身の力が抜けていく。キバナに隠しごとはできないのかもしれない。一抹の視線でさえ見透かすようなドラゴンの瞳だった。私は深く息をつくと、材料を刻むキバナの前に立ってきのみのヘタをとって渡した。
「大丈夫、と言いたいところだけど、正直、やれやれって感じ」
「それはどういう……」
「あれ、たぶん私のせいなの」
 こともなげに告げたつもりだが、どうだっただろう。
「おまえの?」
「うん、色々あって。会社のみんなにも迷惑かけて、やんなっちゃう。ま、泣きごと言ってても仕方ないんだけどね」
 切り刻まれた玉ねぎが目にしみる。しかし、ぐっとこらえて手だけは動かし続ける。空を飛んでいたフライゴンは私に会えてうれしいのか、すりすりと近くに寄ってきた。相変わらず、かわいい子だ。
「どうせそれ、言ってないんだろ、カレシには」
「……まあね」
 余計な心配をかけたくないのもあるが、気持ちがぐちゃぐちゃでどう伝えていいかわからなかったのだ。遠慮なくなんでも言ってほしい、そう彼は言ったけれど、私はその厚意をずっとすなおに受け取れずにいる。
 こんなことがあったの、などと言えばダイゴに泣きついたみたいで情けない。きっとダイゴはすぐにでも対応しようとしてくれるから。これは自惚れなのかもしれない、けれどダイゴは、これが私だからではなく、どんな社員であっても自分に関係する件で危険に晒されたとあれば、即座に動ける人間だ。
 だからこそ、そんな人間だからとわかっていたからこそ、どう言うべきか、そもそも言うべきなのか迷ったのだ。その結果がこれだ。
「まちがいなく、おまえの性格はいじっぱりだな」
「キバナに言われたくない」
「オレさまは柔軟な男代表だっつの」
 慣れた手つきで切り終えた材料を鍋に入れ、次は炒める作業になった。軽くバターで炒め、具材がしんなりしてから水をそそぐ。ぐるぐると焦げ付かないようにキバナが混ぜて、私は横から火加減を調整する。
 ダイゴには言えないくせに、キバナに言えるのはふしぎだった。でも、言ったそばから後悔していた。口にすることでそうであると否応なく認めることになってしまう。そして、それを思い出して傷ついた自分、うじうじと言葉の意味を考えて身動きがとれなくなる自分に、気がついてしまうのだ。
「キバナはすごいよね」ふとこぼした私に、「なにがだよ」とキバナはうろんな眼をする。
 オレンジ色のヘアバンドをかすかにあげて、そこからまみえる碧い瞳はあたたかな海みたいだった。その瞳が好きだったことを思い出して、余計に情けなさとやるせなさがこみ上げた。
「だって、ずっと、耐え続けてきたんだもの」
 好意にも、悪意にも、向けられる膨大な感情の塊に、彼は長年その身をさらしてきた。スタジアムのあの広く輝かしいフィールドに立つことは、綺麗で美しく、恰好いいばかりではない。期待、羨望、のみならず、嫌悪、揶揄、失望、あるいは憎悪――熱気と歓声、烈しい閃光とを思い出し、全身が竦みそうになる。
 キバナだけではない、ルリナも、カブさんも、メロンさんも、ダンデも。もちろん、ダイゴだって、あの重圧に、向けられる好意や悪意、数多の感情に耐えてきたのだ。
 そして、今なお、耐え続けている。
 彼らは強い。強すぎるほどに目映く人々の視線を奪い、感情を煽る。時として、人の人生を逸れさせる、そんな力を持っている。
「でも」私は続けた。
「そのぶんずっと、キバナは傷ついてきたんだね」
 ウォーグルの身体に刻まれた数々の傷痕を思いかえす。破れた皮膚が再び厚いそれで覆われるように、あるいは、何度も熱され打ちつけられた鋭い刃のように、強さには痛みが伴う。彼らが抱える屈強さも、優しさもすべてすべて――。
「私も、しっかりしなくちゃね。こんなの女の勲章、ってね!」
 よし、と包帯を巻いた腕で力こぶをつくり、その勢いでうちわを振りかぶる。だが、その腕をキバナが掴んだ。
「だったら、おまえは強くならなくていい」
 碧い眼は、深い海だ。透きとおり、どこまでも続く。永遠に沈み続け、きっと抜け出せなくなる。「キバナ」かすれ声が喉に絡む。腕を掴む力が切ないほどに強くなる。
「傷つかないと幸せになれないなら、不幸にならないと幸せになれねえなら」
 ――そんな幸せ捨てちまえ。
 やけに静かだった。心臓の音さえ奪われ支配されてしまったように、呼吸さえもままならなかった。
「ま、オレさまが言えたことじゃねえけど」と言って、やがて手を離し、彼はなにごともなかったようにカレーづくりを再開した。