第三幕 第九話

 やっと、あるべきところに気持ちが収まったかのようだった。
 お登勢さんの何気ない言葉は、ふわりふわりと空を漂う綿毛のように落ち着かぬ心をそっと撫で付けてくれた。
 今となって、どれだけ自分勝手に生きていこうとしていたかが身に染みてわかる。自分は大人なんだからとがむしゃらに前を向こうとして、思いがけず新たな人生が軌道に乗ったから、なんでもこの手で上手くと心のどこかで考えて。周りの人達のことをどこか軽んじていた。恥ずかしくも、それが、わたしだった。
 だが、これからは、そんなふうに生きていきたくない。
 地に足を着けて、やるべきことをこの手で行う。他でもない、真選組のために、今やるべきことに一つ一つ真摯に向き合うのだ。
 たったそれだけの決意だが、胸の内を覆っていた暗雲はすっきり晴れた。
 一人江戸の町に放り出された時のわたしが聞いたら、本当にそれでいいの、と眉を顰めて訝ることだろう。
 お前に酷い仕打ちをした奴らだぞ、と頭のどこかで修羅のような声がする。だが、その声に耳を傾けることはない。
 どうしてなんて、わからない。けれど、疑心暗鬼に陥って全てを跳ね返して生きていくなんて、わたしには無理だから。
 与えられた仕事だったかもしれない。
 それでも、生きていく術の一つをわたしが選んだ。不思議に繋がった糸を、切れそうだった糸を、手繰り寄せたのは自分だ。
 目の前の仕事を等閑にこなすのではなく、その仕事の向こうにいる人々を胸に思い浮かべようじゃないか。汗水流して帰ってくる隊士たちのために、流した分の汗を取り戻せるなにかをこの手で作ろう。
 そんなの当たり前のことで、なんら代わり映えのしないことかもしれない。だが、それがわたしのすべきことなのだ。
 できることは、きっと少ない。それは仕方がない。それでも、少しずつ、少しずつ、歩み寄っていけばいい。
 失ったものを取り戻すのではなくて、ここからまたじっくり新しく築き上げてゆけばいい。
 銀さんには、感謝しなくちゃ。なんだかんだ、見守ってくれる優しい瞳を思い返しながら、心が弾む音を聞く。
 ――よし。
 わたしはきゅっと襷を締め上げると、刺すような冷たい空気に臆することなく、女中部屋を出た。

「今日は味噌汁の味安定してやしたねィ」
 言いながらお盆を差し出してきた沖田さんに、本当ですか、とはにかむ。
 些細なことでも、それに気がついて実際に口に出して伝えてくれると、胸に花が咲いたかのような心地だ。
「お出汁をしっかりとったのもあるんですけど、今日は隠し味を入れてみたんです」
 お盆の中の皿が舐め取られたように綺麗なのを確認して、声が弾みすぎないように気を配りながらお盆を受け取った。
「へぇ。そいつぁすげーモンなんでしょうね」
 大して興味はないのだろうが、なんとなく話す余地を与えてくれている気がして、なんだと思います? とわたしは訊ねる。
「さあ、醤油とか?」
 いきなり正解を突かれて、どきりとするも、わたしは笑顔で答える。
「愛です」
 沖田さんは一瞬動きを止めた。
 それから、容赦なく、じい、とわたしの顔を見つめてくる。笑顔を崩さぬがどんな反応をされるか身構えると、彼は言った。
「姉さんがそんな寒いことを言うお人だとは……あー寒いなー、こりゃ部屋の温度が五度は下がったなー」
「……もうなにも言いません」
 呆れも憐憫も、表情になにも浮かべないまま、なに言ってんだこの人とばかりに真顔の沖田さん。
 いや、たしかに、今のは自分でも寒かった。寒すぎる。思春期の娘が久々に相槌を打ってくれたからって、嬉しくて寒いダジャレをつい零す父親じゃないんだから。
 また調子に乗ってわたしってば……。
 恥ずかしさから手のひらで顔を隠すと、沖田さんは眉を上げて、「夜も期待してまさァ」と爪楊枝を一本手に取って食堂を後にしたのだった。

 

 

「最近、洗濯物がいい匂いでなぁ」
 近藤は、嬉しそうにまなじりに皺を刻みながら言った。
「前からいい匂いだったが、さらにこうそれが増したというか。刀を持っていても、ふとした瞬間にあれ? 俺、今めっちゃいい匂いなんじゃね? って胸が弾むんだよね」
「そりゃダメだろ近藤さん」
 呆れてため息を吐く土方に、近藤はハハ、と笑い返す。
「しかも、着心地がいい気がするんだ」
「そうか?」
「ああ。スカーフなんかふわふわサラサラで、皺一つない。着るもの一つでこんなに気持ちが落ち着くなんて、驚いたもんだ」
 土方は手渡された洗濯物を思い返す。たしかに、普段ヘビースモーカーである彼の服も、煙草の香りはすっかりと抜け落ちて、ほんのりと石鹸の香りがした。決してきつくはないが、無駄のない、爽やかな匂いだった。
 だが、着心地までは気にかけたことがなかった。きっと当人としては大してすごいことを言ったつもりはないのだろうが、意外な点に気がつく目の前の大将に、土方はやれやれとまなじりを弛める。
「まあ、悪くないな」
 小さく呟く男に、近藤は、そうだろう、とニイと白い歯を見せた。
「ところで近藤さん、山崎から例の攘夷志士の情報を掴んだと報告があった」
 ぐるりと視線だけで局長室を見回したあと、声を静めて土方は切り出した。
 その様子から、並々ならぬ情報を手にしたのだろうと感じ取り、近藤も居住まいを正した。
「そうか。ついに」
「ああ、来週頭だ。例の三丁目の呉服屋の二階、密談が交わされる。攘夷志士の人数が二十は優に超えるだろうとのことだ。見張りを合わせたらもっとだろうな」
「思っていたよりも、多いな。こちらの動きに気が付いている様子はあるのか」
「今のところは無ェみたいだが。どうだろうな」
 とにかく、と土方は改まる。
「刀の手入れを念入りにするよう、隊士たちに伝えておく。ここまで来たんだ、なんとしてでもお縄に掛けてやらぁ」
 近藤は、静かに頷いた。

 

 

 気持ちを入れ替え仕事に精を出し始めて、少し経ったある夜のことだ。
 夕餉の片付けを全て終えて帰り支度をしていたところに、隊士の忙しない足音が飛び込んできた。
「どうかしましたか」
 女中部屋からひょっこり顔を出すと、たしか三番隊の平隊士だったか――ひとりの隊服姿の男性が慌てた様子で振り向いた。
「東雲さん。実は討ち入りから隊士たちが帰ってきたのですが、負傷者が多くて。医者が辿り着くまでの間応急処置にあたれる人間が何人か必要なんです」
 そうだ。今日の午後、屯所がいつもよりも静かだったのは、なるほどそういうことだったのか、と合点が行く。
「すぐに参ります」
 一呼吸も置かず、わたしは答えていた。
 よろしくお願いします、と言うや否や頭を軽く下げて、彼は足早に廊下を進んでいく。一刻を争う事態なのだろう。
 洗い立ての手拭いをありたけバケツに詰めて、それから気休め程度だが救急セットを手にすると、緩んでいた襷を締め直して、わたしも女中部屋を飛び出た。

 思っていたよりも、隊士たちの怪我は酷かった。大広間に集められた怪我人たちは、所狭しと横になったり座ったりと畳を埋め尽くして、同じ隊服を着た仲間たちからの手当てを受けている。
「東雲さん、ありがとうございます」
 先ほど女中部屋の前を通った隊士が、わたしの姿を見つけて頭を下げた。冬だというのに額に脂汗をかいており、前髪がはりついている。どんな状況か一瞬で伝わってくる。
 汚れを拭うものを持ってきましたので、と傷口を綺麗にする手伝いを申し出ると、彼は、すみませんがよろしくお願いします、とまたしても頭を下げて、処置に戻っていく。
 ぼやぼやしている暇はない。わたしはバケツを持つ手をぎゅっと握り、大広間に足を踏み入れた。水面がちゃぷん、と揺れる――だが、入った途端、わたしはその場に立ち竦んでしまった。
 泥と鉄の混じり合ったようなにおい――血だ。

 噎せ返るような、鮮血のにおいだ。

 ――月の綺麗な夜、
 ――裏店の路地、
 ――阻まれる行く手……。
 目の前が遠く、違う映像が次々に流れ込んでくる。心臓がいやに速く鳴り響き、大きく息を吸い込もうにも、それはかなわず。足の裏は畳に貼り付いたように動かない。
 ――体を這う蛞蝓、
 ――伽羅の香り、
 ――ごろんと転がった、
 震える指先を、手のひらに隠す。

「姉さん?」
 目を瞬かせて振り返ると、沖田さんが立っていた。
 脱いだ上着を脇に抱え、白いシャツにはべっとりと紅色が染み込み、頬にも血が付いていた。
「ッ! 沖田さん、今すぐ手当てを……」
 我に返り、慌てて水を張ったバケツに手ぬぐいを浸したわたしを、「大丈夫でィ」と沖田さんは止めた。
「こりゃ全部返り血でさァ」
「あ……そう、なんですね」
 よかった、やわく笑みを浮かべると、沖田さんはわたしの手にあった手ぬぐいを指差してくる。
「それ、借りてもいいですかィ」
「はい、どうぞ。お顔拭いてください」
「どうも」
 絞ってそれを渡す。彼は、冷てェとぼやきながら、顔についた血を拭った。
 真っ白な手ぬぐいは血に染まり、まだ微かに指先が震える。悟られぬよう手のひらに隠す。
「まあ見てくれはアレですがね、死にそうな奴ァ居ないんで安心してくだせえ」
 ぐるりと他の隊士たちを見渡して、低く落ち着いた声で彼は。震える指先を、きっと見られていたのだろう。
 彼の言葉に、わたしはどうにか騒めく胸を撫で下ろした。
「本当、ご無事でと言うべきかどうかわからないのですが……無事帰って来てくださって、よかった」
 途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、汚れた手拭いを受け取り、バケツの中で濯ぐ。
 水はすぐに茶色く染まってしまった。血の匂いが鼻につくが、ぐっと奥歯を噛みしめる。
 ちょうどそこで彼はひとつ、大きな欠伸を拵えた。わたしは、お疲れさまです、と眉を下げる。彼は大口を開けて欠伸をしながら、どうも、と返事を返した。器用なものだ。
 バケツの水を取り替えに行こうと立ち上がると、沖田さんのお腹がきゅるる、と鳴るのが聞こえてきた。
「こいつぁいけねぇや、腹の獣が鳴いてやがる」
「まあ可愛らしい鳴き声。ご無事な証拠ですね」
 お腹を撫でる仕草に、急に力が抜けて、わたしはくすりと一笑した。駆け巡った戦慄は、いまだ肌の下に蠢いているが、それでも少し薄まった気がした。
 彼を見つめながら、今からお米を炊きに行こうかと考える。きっと、お腹が空いているのは彼だけではないだろう。お米は、武州のお百姓さんから頂いたものが山ほどある。少し時間はかかるが、怪我に打ち勝つには体力も必要だ。明日の朝までなにもなしというわけにはいかぬだろう。
 ひとりでに頷き、バケツの取っ手をきゅっと握った。
「おにぎりで良ければ、後ほどお持ちします」
 はたと彼は目を瞬かせた。だが、すぐにどこか安心したように目を細めると、「すいやせん。お願いしまさァ」とぽつりと漏らした。
 はい、と微笑むわたしにぺこりと頭を下げると、心底疲れているのだろう、彼は足を引きずるようにしてその場を後にした。

 その後、大きな怪我は医学に見識がある隊士に処置を任せ、軽い怪我の対応にあたった。応急処置までとはいかないが、医学的に正しい指示を仰ぎながら、傷口のまわりを手ぬぐいで拭い清潔にしたり、消毒をして回った。
 しばらくして落ち着いたところで、わたしは大広間を抜け出すと、厨房に行き大急ぎでご飯を炊いた。
 蒸らし終えた釜の蓋を外すと、白い湯気がもくもくと上がる。水で手を濡らして、塩をまぶし、湯気をそっと払ってしゃもじを釜に入れる。二杯分を手のひらにすくって、熱々の白米に悪戦苦闘しながら何個も何個も握っていく。
 厨房にはわたし一人だ。子どもや孫の世話があるから、と他の女中たちは大体夕飯の仕度を終えると帰ってしまう。そのあと残った何人かで夕飯の後片付けをしたり、しばらく雑務をしていることもあるが、今日は既に皆帰ったあとだった。
 万事屋にでも依頼したくなるほどのおにぎりの量だ。しかも、熱い。
 それでも、へとへとに疲れた隊士たちがいるからとひたすら冷水に手を浸して次のおにぎりを握る。手のひらがチリチリする。とっくに真っ赤に腫れぼったくなっていた。だが、そんなこと構っている場合ではない。怪我した人たちにもなにかを食べさせなくては、と、必死に握っていく。

 出来上がった白いおにぎりは、隊士に頼んで数回に分けて運んでもらった。お盆の一つを持って、わたしも大広間に辿り着くと、医師と看護師が到着していたようだった。
 これで、なんとかなるだろう。それにホッと安堵して、おにぎりを隊士たちの手に渡していく。それが終わったあとは、汚れた手ぬぐいや隊服をバケツに拾い集めて洗濯場へ向かうことにした。
 廊下に出ると、月がすっかり頭の真上に昇っていた。
「きれい……」
 真っ暗な空に、ぽかんと銀色の月が浮かんでいる。
 すっかり、夜は更けていた。静かに夜風が吹いて耳の裏をひやりと撫ぜる。
「全然、気がつかなかった……」
 月を見上げながら、ひと息吐く。思いがけず、綺麗な月夜だった。
 すると、前方から足音が聞こえてきた。
「東雲か」
 やって来たのは、副長だった。今しがた帰ってきたばかりなのだろうか。隊服に身を包んだままだ。
 月明かりに照らされた顔は、ほんのり驚きに歪められている。
 慌てて居住まいを正すと、わたしは、お疲れさまです、と頭を下げた。
「こんな時間までなにしてやがる」
 彼の表情が緩められることはなかった。わたしはこっそり唾を飲み込み、声が掠れぬように注意を払いながら、バケツの取っ手をきゅっと握った。
「ちょうど、隊士の皆さんが帰ってこられたので、お手伝いと、お夜食を用意していました」
「……そうか、すまねェ」
「とんでもございません。副長も、ご無事でなによりです」
 やんわり微笑むわたしに、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。それと同時に、ふ、と血の匂いが鼻を掠めた。
 じっと副長を見つめると、頭を掻いた手とは反対、下された手の甲が赤かった。
「副長……」
「何でもねェ。気にするな」
 わたしがそれを見つけたことに気がついたのだろう。彼はサッと隠すように、胸元へ手を突っ込んだ。
「ダメです」
「放っときゃ治る。んなことより、アンタの方が問題だ。こんな時間まで働かせたとありゃ、とっつぁんが黙っちゃいねェ。隊士に言って家まで送らせる、帰る支度をして女中部屋に居てくれ」
「ダメです。手を見せてください」
 涼しげに言って煙草を取り出した副長に、わたしは負けじと告げる。傷口を縫ったりすることは出来ないが、それでも放っておくよりはマシだ。
 じっと、彼の少し草臥れた目元を見つめていると、観念したのか、「……わかった、付いて来い」と低い声が聞こえて来たのだった。

 副長室に着くと、彼は上着を脱いでベスト姿になり、赤く染まったシャツの袖を捲った。
 手の甲と手首の境目あたりにまみえたのは、直径五センチほどの切り傷。思っていたよりも、大きな傷だった。
 斬り合いの最中、割れた壺の破片で切ってしまったらしい。綺麗な手ぬぐいを水で濡らし、まずはその傷のまわりを丁寧に拭っていく。冷たさにか、それとも痛みにか、副長は微かに肩を揺らす。
「処置は出来ませんので、すぐにお医者さまにお見せになってくださいね」
「ああ」
 彼は煙草を吸いたそうに、反対の指先を胡座をかいた膝に打ち付けている。
 それに思わずくすりと笑うと、彼はギロリとわたしを見た。
「なんだ」
「いいえ。お煙草、吸われるならどうぞ」
「この状況で吸うバカがいるか。片手も使えねェしよ」
 だが、さぞかし吸いたいのだろう。ふてくされた声に、それならよければ火をお付けしましょうか、と申し出ようとして、口を噤む。ついすまいるでの癖が出てしまうところだった。
 唇を半開きにしたわたしに、副長は胡乱な様子で「どうした」と訊いてくる。なんでもございません、と眉を下げて笑い、手当てに集中した。
 そっと浅く焼けた肌を撫でていくと、血が剥がれて、少しずつ逞しく筋張った手が露わになる。
 指先には硬いタコができ、指や手の甲には、そこかしこに白い傷痕が残っていた。思いがけず心臓が、とくりと静かに跳ねた。
 この手は、武士の手だ。
 刀を握り、振るう、立派な手だ。
「副長は、格好いいですね」
 わたしの言葉に、副長は、ハ? と眉を微かに顰め、睫毛を何度か揺らした。
「副長だけでなく、真選組の皆さんも。命を懸けて、刀を握ってる」
 どれだけ傷だらけになっても、護るべきもののために大きな重荷を背負い、敵に向かっていく。
 それが自分たちの天命だと、そう言うように彼らは自分たちのやるべきことに真摯に向き合い、命懸けで仕事をしているのだ。恥ずかしながら、今日、初めてそれを実感した。そして、この世界の重さも。
 それでも、おにぎりにかぶりついて、「疲れた体に染みるぜ」だとか「ありがとう」だとか、朗らかに笑ってくれた隊士たちの顔を思い浮かべて、わたしは手を止める。
「副長」
 彼はなんだ、と静かに応えた。
「あの時、わたしを誘ってくださって、ありがとうございました」
 彼はなにか言いたげだったが、ただ、これああ、とだけ相槌を打った。
「初めは戸惑いもありましたが、本当に嬉しかったんです。どうやって生きていこうかと、考えていたものでしたから。でも、副長は、すごいですね」
「なにがだよ」
「わけもわからない、怪しい人間のわたしに声を掛けてくださったことです。どうしてわたしなんかを、と今でも思います」
 なんでそんな風に彼の前で直接言ったのか、わからない。言うべきではなかったかもしれない。けれど、勝手に唇が動いていた。
 眉を顰めた副長に、わたしはやんわり微笑んで、止めていた手を再び動かす。
「至らない点ばかりかとは思います。それでも……これからも、副長や真選組の皆さんを支えさせてください」
 するりするりと、自分でも想像しているより柔らかい声が出ていた。
 やがて、こびりついていた血がとれ、副長の大きくて逞しい手がしっかりとまみえた。
 これでよし、と彼の手を離して、手拭いをバケツに落とすと、わたしは、「おにぎりをお持ちしますね」と言い添えて、静かに副長室を後にしたのだった。