第三幕 第二話

「んぅ、銀さ……?」
 目がさめると、目の前には銀色のふわふわした髪の毛と、やけに整った男の顔があった。
 鼻筋、すうっと通ってるな。睫毛も意外と長いんだな、肌、白いな、とか。温かい布団の中で微睡んだまま、まじまじと見つめていた。
 ──なんか、きもちいい……。
 ぬくぬくと心地良いひと肌に、再び瞼を閉じようとしたところで、ハッとする。
「──はっ? え?」
 一体なにがどうなって、こうなったのか。
 ──なんで、銀さんの腕枕で寝てるの!?
 そう、目の前には、銀さんの顔。おまけに腕は首の下に敷かれて、ちょうどいい枕になっていた。所謂恋人同士がよくやるやつで、愛を感じるにはもってこいの胸キュン体勢だ。
 だが、寝起き早々超ド級のドッキリを食らったわたしは、そんな愛を感じる間もなく。むしろそんな愛なんてあってたまるかというところなのだが、とにかく慌てて体をぐるん、と反転させる。
「んだよ、寒ィだろ……」
 そのまま逃げ出そうとしたものの、あろうことか勢いよく寝返りを打ったわたしを銀さんの腕が抱き寄せた。なんということだ。状況は悪化した。内心、ムンクがひたすら叫んでいる。
 だが、そんな心の叫びを無視して、ぎゅう、と抱き締められてしまう。背中と彼の胸板が密着して、がっしりとした体つきが鮮明に肌に伝わってきた。思いがけず「ひっ」と悲鳴に似た声が漏れる。
 抱き込まれ、身動きが取れない。心臓の音がやけに耳元で響く。
 ──そもそも、なんで、一緒の布団で寝ているの!?
 どうにかなってしまいそうなほど、心臓がバクバクと働いている。動揺がバレないようにと息を顰めるが、頭の中は小さな小人が総動員で暴れているんじゃないかと思うほどに、なんで、どうして、何があったのか? と、騒がしい。
 確か昨日は銀さんを引っ張り出して、おでん屋で飲んだのだ。それから──駄目ね、思い出せない。
 お腹の辺りに回った手は、逞しく、ずっしりとした重さがある。首の下に敷かれた腕はと言えば、それと同様筋肉質だろうに不思議と柔らかな肉感で心地よい。
 万事屋で使っている洗剤の香りが鼻を擽る。その中に、確かに練乳でもひと匙かけたような甘ったるさがあって、呼吸を止める。
 悔しいが、いい匂いだ。ぐぅ、悔しい……。
 ──どうしよう、普通に、どきどきしてるなんて……まさか、相手は銀さんなのに。
 普段気にしたことがなかった分、坂田銀時というひとりの男の存在をまざまざと感じてしまい、わたしは思い掛けず唇を噛んだ。
 こんな経験がない訳ではない。それこそ人並みにあったし、これ以上のこともしたことがある。だが、どうしてだろうか、どうしたらいいのかわからない。
 きっと、こんなにも密着するのが久しぶりだからだ。誰でも、目が覚めて男の人とこんな展開になっていたら胸が高鳴るはずだ。そう言い聞かせる。
 とは言え、銀さんの距離は近い。近いなんてものじゃない、ゼロだ。
 背中に厚い胸板を、そこかしこに彼の筋肉を、肉体を感じる。
 ──おかしくなってしまいそう。
 どんどん熱を帯びる体。布団から出ている顔は、朝のひんやりとした空気に触れているはずなのに、湯気が立ってしまいそうに、熱い。
 彼が起きる前に布団から抜け出さなきゃ。そう思うも、身体が麻痺したように動かない。
 熱に浮かされてしまう。
 銀さんは相変わらず夢の中。ぎゅう、とわたしの体を抱き締めては、顔を首元へ擦り寄せてくる。呼吸の度に、頸を撫でる吐息。
 無理、もう無理。
「ぎん、さん……」
 思い掛けず、声が掠れてしまった。
 えええなんでそんな声になってしまうの! というのが、心の叫びだった。ムンクもびっくりだ。
 自分のものであるはずなのに、恥ずかしくて堪らなくなるような、甘い吐息を漏らした自分を叱責する。
「起きてください」
 起きてくれないと、流石にこれ以上は……。どうにかして懇願に似た言葉を絞り出すと、ん、と頸あたりで小さく声が上がった。
「は? え、ちょ?」
「あの……腕、離してくれませんか」
「腕? って俺、凛子に何しちゃってんのォォオオオ!?」

 

 ――いち、に、という威勢のいい声が青空に響いている。
「東雲さん、おはようございます!」
「おはようございます。今日も精が出ますね」
 素振りのさなか、ピッと背筋を伸ばして挨拶をしてくれた隊士ににこやかに笑う。
 ああ、その竹刀の切っ先に今朝の出来事を括り付けて、遠くに放り投げてくれたらいいのに。
 目の前で笑みを浮かべる女が、そんなくだらないことを考えて居るとは思いもよらぬだろう。隊士はまだあどけなさの残る顔をきりりと引き締めて、素振りに戻った。

 仕事に遅れるから、と逃げるようにして万事屋を飛び出したものの、結局気まずさは昨晩の酒の残り香のように付き纏っている。
 急いで家に帰り、シャワーと着替えを済ませてから屯所まで辿り着いたとは言え、いわゆる「朝チュン」の動揺はまだ拭えずにいた。
 屋台でしこたま熱燗を飲んだわたしは、そのまま卓に突っ伏して寝入ってしまった。それで、銀さんが仕方なく背中におぶさって万事屋にまで連れて帰って来てくれたのだという。そこまでは銀さんが珍しく目をあちこちに泳がせて、「ここまでは覚えてるんだけどなー、あー歳かなー」などと動揺しながら教えてくれたのだが、何故一緒の布団に寝ていたかというのは、実際銀さんも相当酔っていたから詳しく覚えていなかったらしい。
 なにが――「えー、その、なんだ。俺ら最後までしちゃった感じ?」だ。
 銀さんの惚けた台詞が蘇り、髪の毛をむしり取ってしまいたくなる。
 絶対ない、有り得ない――ということにしたい。
 正直その点に関しては今ひとつ確証はなかったのだが、わたしが断固として首を縦に振らなかったので、銀さんも心底ホッとしたように、だよなぁ、と頭を掻いて、大きな欠伸を拵えた。
 そうして、一先ずは酔っ払ってしでかしたことということで、水に流す結末に至った。
 神楽ちゃんが新八くんの家に泊まりに行っていたことが幸いだろうか。同じ布団の中で目覚めたなんて、ふしだらな出来事を彼らに知られたら、どうなることか。酔っ払い二人の密事となった。
 酔っ払って支払いも銀さん任せ、さらには背負って送り届けた足代、諸々の迷惑料として、後日パフェを奢ることになったことに関しては、まあまあ遺憾である。
 ──でも、温かくて気持ちよかった……。
 万事屋を出て、この世界でひとり暮らしを初めて幾日。久々に銀さんとゆっくり話せたこともあり、羽目を外してしまったのは確かで。まさかあんなことになるとは思わなかったのだが、居心地の良さを再確認した。
 人肌恋しいのだろうか。今朝の出来事を思い返して、胸元に手を置く。逞しい身体、甘い香り、穏やかな息遣い、温もり……そのことを思い出すとそわそわしてじっとして居られなくなる。
 ──って、そんなんじゃないから! あああ馬鹿馬鹿馬鹿……!
 ああもう! と、幼子のように走り回りたくなる気持ちを大きな溜め息に変えた。
 久々にあんなことがあったから、戸惑っているだけだ。
 おかしい心臓にそう言い宥めて、わたしは女中部屋に向かった。そして、精神統一をするように、キュッと襷を締めたのだった。

 さて、女中の仕事は、大抵は炊飯の支度から始まる。早番と遅番があり、早番であれば朝七時の朝餉の、遅番であれば今日のわたしのように、昼餉の支度からとりかかることになる。太陽が真上に昇るまでにはまだまだ時間があると言えど、何せ何十人、いや、何百人という大所帯だ。白米にしても一度に炊くことは出来ないので、それなりに時間がかかる。
「おはようございます」
 厨房に辿り着くと、むわっとした熱気とともに、仄かに米の炊ける匂いが既に辺りに満ちていた。
「凛子ちゃん、お早う。お米の支度は出来てるからそっちお願い出来る?」
「すみません、ありがとうございます」
 先に来ていた早番の女中に挨拶を交わしながら、そっち──わたしは笊の上に大量に置かれたじゃが芋に目を付けて、せっせと皮剥きに取り掛かる。今日は肉じゃがだろうか。それともカレーだろうか。
 この世界に来て暫く経つが、西洋の食べ物は既に江戸の人々に定着し、調理家電やら何やらまで現代化の一途を辿っていることには、非常に助けられている。
 寺子屋に居た頃には、田舎だったからかガス台はなく、薪で火を焚いて料理をしたり、風呂を沸かしたりはしたけれど、それでも便利なマッチはあったから火起こしはそう難しくなかった。
 料理を振る舞うにも和食のレパートリーが少なくてオムライスを出したり、シチューを出したりしたものの──あの人はあまり口にしたことがなかったらしく心底感動していたが──すんなり受け入れてもらう事が出来た。
 もしこれが本当の江戸時代だったならば……考えるだけで、冷や汗が出る。きっとわたしはどこかで行き倒れるか、気を違えていたに違いない。
 こうして不自由なく日常生活を送ることが出来るのは、開国のおかげ、だろうか。天人が訪れた事による文明の発展には感謝せざるを得ない。
 真選組で働くにも、IHはないにしろガス台や冷蔵庫などもあるから大助かりだ。
「凛子ちゃん、じゃがいもの下拵え終わったら、お鍋で煮て頂戴」
 材料はほかに、玉ねぎと人参、そして豚肉。うん、これは肉じゃがだ。
 先輩女中にコツを教わり、野菜を軽く炒めたあと、出汁で煮る。そして、先に砂糖や味醂などの甘味から味付けをして、豚肉を入れた。それから、酒と醤油で味を整えたあとは、じゃがいもが煮崩れしすぎないように火加減に注意しながら火を入れる。
 簡単なように見えて、何度やっても一人では、なかなかコレ! という味には至らない。
 たしか、昔見た料理アニメで、老舗料亭で使い古された土鍋を使うことで、水と醤油しか使わずとも、とても美味しい雑炊が出来た話があったような。あれは長きに渡る使用で、鍋にスッポン鍋の味が染み付いていたんだっけ。料理人とその土鍋、そして時間の関係があって成り立つ味……。それと似たようなものだろうか。
 と、まあ、一朝一夕で江戸っ子たちの舌に適う料理を作るのは難しいというわけで。
 文明の力はあっても、カレールーだとかクック○ゥーだとかに頼りきっていたわたしは、未だに大勢の和食を作るのには慣れることが出来ていない。
「あの、これ、どうですか」
 などと他の女中に味の確認を頼みながら、仕込みを続けた。

 それがひと息つくと、次は掃除洗濯だ。
 仄かに出汁の香りを身に纏い、廊下を進んで行く。
 掃除洗濯に関しては、平隊士たちが自分たちの分は自分で、と請け負ってくれているため、わたしたち女中は主に、幹部たちの召物の洗濯やら細かな掃除に当たる。
「姉さん、これ」
 局長、副長、と順に洗濯物を回収して、籠を手にして廊下を歩いていだところで、庭先から声を掛けられた。
「沖田さん、わざわざありがとうございます。こちらに置いてください」
 一番隊隊長の沖田さんだ。
 ベストにスカーフ、と既に隊服に身を包んでいるが、透き通るような金色の髪には瞳が描かれたアイマスクが載っている。この時間一番隊は職務に当たっている筈だが、どこかで昼寝を決め込んで来たのだろう。
 それにくすりと笑いながら、こちら、と籠を差し出すと彼は洗濯物の入ったネットをポイと放った。そして、その上に、口には出せないような形状の物が載っていた。
「ついでにこれも置いときやすから、必要になったら使ってくだせェ」
 ニヤリ、沖田さんは悪そうな笑みを浮かべた。
「必要になりそうにないので、山崎さんにでもあげてください」
 笑みを引き攣らせながらも、負けじと、籠を突き返す。暫くそんな攻防が続いた。
 慣れた様子で悪戯をかわすわたしに、遂に観念したのか、つまらなそうに沖田さんは唇を尖らせる。そして、チェッと子どもじみた声を上げながら、渋々それを仕舞った。何をしたいのかと問うたところで、前みたく「何って調教ですぜィ」と言われるのがオチだ。
「まったく、からかわないでくださいね」
 彼が一番隊隊長という肩書きを知って驚いたものだが、その破天荒っぷりには日々さらに驚かされる。溜め息混じりにぼやくわたしを、沖田さんはニヤつきを隠しもせず見てきた。
「あーあ、昔の迷い猫みてぇな不憫な顔してたら、すぐにでも調教してやったのに、惜しいことしやした」
「それは、残念でした」
「でも、目の前の、自分の枷の中で真っ当に生きようとする年上女を済し崩しにするのも、悪くないでさァ」
 背筋にゾッと寒気を感じて、わたしは引き攣り笑いをこぼし、「じゃあ、仕事がありますので」とその場を後にした。
 年下にここまで馬鹿にされるって……。複雑な心境に浸りながら、重たくなった籠を抱き直す。
 どういうふうに育ったら沖田さんのようになるのだろう。そんな疑問は心の奥に仕舞い込んだのだった。

 

 昼食の後片付けを終えると、忙しなく動き回っていた女中たちも、ホッと息を吐いた様子で女中部屋に篭る。テレビを見ながら座卓で煎餅を齧ったり、旦那の愚痴やら惚気やら、はたまた子どもの教育の話に花を咲かせるのだ。
 この頃にはもうすっかり今朝の出来事も抜け落ちて、女中皆んなで、と近藤さんが下さったお饅頭を頬張った。
「凛子ちゃん」
 しばらくしたところで、先輩女中から目配せを受けたので、頷きわたしは湯を沸かす。急須に茶葉を摘み入れ、湯呑みを用意すると、女中部屋を立った。

「副長、東雲です」
「入れ」
 そう、女中にはもう一つ仕事がある。
 中から聞こえて来た無駄のない声に、お盆を置いて、そっと襖に手を掛けた。
「お茶をお持ちしました」
 一礼して部屋に入るが、突如立ち込めた苦い香りに、前髪の下でそうっと眉を顰める。
「どうした」
 一向に先を続けないわたしに、痺れを切らしたのか、目の前の男は顔を上げた。
 上着脱ぎベスト姿の副長が、座卓に着いて咥え煙草をしていた。卓にはかなりの書類が積まれており、処理に追われていたのだろう。
「換気しないと、お身体悪くされますよ」
「あぁ、済まない」
 襖を一度開け放って、空気の通りを良くする。副長も気を遣ってか、煙草を灰皿に押し付けて火を消した。
「お茶は、こちらで宜しいですか」
「ああ」
 やんわりと口元に笑みを載せて、作業をしている座卓ではなく、副長の脇にある小さな木箱の上に置いた。いつもそちらに置くと年配女中に伺った。重要書類にもしものことがあってお茶がかかってはいけないから、という配慮だ。
 副長は気にも留めず、書類を手にしてそれに没頭している。精悍な横顔を密かに見遣って、邪魔しては悪いから、と副長室を後にしようとした。
「順調か」
 静かに立ち上がろうと畳に手を突いたところで、思い掛けず声を掛けられた。
 え? と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「仕事だ」
 目を瞬かせるわたしに、副長は姿勢は変えずともちらり一瞥だけして続けた。その際に一瞬視線が絡み合って、小さく息をのむ。
 書類を捲ると共に、どうなんだ、と再度尋ねられて、わたしは慌てて居住まいを正した。
「皆さんのお陰で、楽しくやっています」
 まさか、この人にそんなことを尋ねられるとは。
 確かに、女中の空きがあるからと話を持ちかけてくれたのは彼なのだが。わたしはどこかこそばゆさを感じつつ、はにかんで返す。
「そうか、ならいい」
 副長は端的に言った。またぺらり、と紙の擦れる音がした。
 こうして、同じ空間に居合わせて会話を交わすというのが、まだ落ち着かないようなそんな気がするのだが、それでも、一度は違う立場に居た人間に心配りを忘れない彼の度量の広さには、頭が下がる思いだった。
 粒が揃い、微塵も乱れぬ声ではあったが、そのあとに訪れた沈黙の優しさに、わたしは丁寧に一礼をして、副長室を後にした。