IF 後日談

「直哉さま、お目覚めの時間です」
 ゆさゆさと体を揺り動かす温もりに目を覚ました。さっぱりと洗われた陽ざしが差し込んで、辺りは淡く金色に染まっている。なんやもう夜が明けたんかと気だるく寝返りを打つと、俺は腕に小さなからだを抱きこんでぴったりそこへくっついた。
「まだ朝やない」
「そうわがままをおっしゃらず。もう朝です、起きてください」
「昨日ぎょうさん腰振ったからもう立たれへんねん、困ったわあ」
「では、これは一体なんでございますか」
 そう言って、透子ちゃんは尻に押しつけられた俺のそれを握る。朝一番、とはいえ、すっかり元気になってもうた。
「あーあ、透子ちゃんったら意外と大胆やな」
「直哉さま、あれほど今日はお支度がございますから、早く起きてくださいと、わたくし申し上げましたよね」
「怒らんといて、ほんま、生理現象や。透子ちゃん隣におったらすぐおっきくなってまうねん」
 ごめんちゃい、と言う俺に透子ちゃんはため息をつきつつ、わかりました、ともごもごつぶやく。
「その、一回だけですからね」
 こうなったら、こっちの勝ちや。これ幸いとすかさず彼女の手を着物の裾から中へ誘導して、熱を孕んだ俺の性器を握らせる。冷えた指先が最高に気持ちエエ。ハァと嘆息をつくと、透子ちゃんのからだが小さくわなないて、逃げそうになる手をしっかり捕らえ扱かせる。しっとり、極上の絹が吸い付いてくるみたいやった。
 もはや熱は次々と集まり、吐息もねっとりと湿るしかあらへん。後ろから彼女の耳を舐り、八ツ口からそっと手を忍ばせて肌を弄べば、あえかな喘ぎがもれて胸がきゅうと締めつけられてまう。ほな、同時にあそこも元気百倍。
「ホンマ、透子ちゃん堪忍な。一回だけじゃたぶん無理やから、五回は頑張って」
「直哉さま」

 頬に見事な紅葉をつけて居間へ向かうと、なぜか五条家の坊がデカい図体を畳の上にのさばらせていた。
「いやあ、禪院家次期当主ともなると紅葉の色がちがうね、さすが、清水寺の和尚さんもびっくり綺麗な赤色だよ」
「あ?」
 おおこわ、と心にも思ってないことを口にする男に、「つか悟くんなんでおんねん」と低く唸って上座に着く。
「なんでって、お祝い?」
 宇宙人でも見るような顔を向けると、奴は躊躇なく指を交差させた。
 やめえや領域の無駄遣い、と座布団を投げ飛ばし苛立たしく体を揺すったところで、親父が入ってきた。
「来おったか五条悟」
「やぁやぁ、直哉クンパパご無沙汰〜、元気ィ? バカ息子とうまくやってるぅ?」
「舐めとんのか」
 ついその薄ら寒い態度にこめかみに青筋を立てると、クソ親父は豪快に笑い飛ばして俺と招かれざる客人の間を突っ切った。
 なんやねんホンマこいつら、殴り飛ばしたなるわ。と、袴に皺を寄せたところで、「お待たせいたしました」と親父付きの使用人の声が響いて戸に顔を向けた。
 すっと音もなく襖が開き、現れたのは俺の嫁さんや。戸の向こうで綺麗に三つ指をついて、「透子です」と澄んだ声を響かせる。しかし、その声はかすかに震えていた。
 いっとう上品な色留めで粧し込んで凛とした姿勢を見せてはいるが、あれは相当緊張しているはずだ。今すぐ飛んでいって抱きしめたろかと思うも、「入れ」と親父がそれを遮った。ホンマにクソ親父やで。
 透子ちゃんは恭しく深くこうべを垂れたあと、ゆっくり顔を上げた。きれいにまとめられた束髪からわずかにこぼれた濡羽色の髪が、すずらんの花笠のごとく白磁の肌に揺れ、それはたいそう綺麗やった。
「ベタ惚れだねえ」
「うっさいわ悟くん。俺の透子ちゃん一秒でも見たらその顔どついたるで」
「その前に鼻血、拭いたほうがいいと思うけど」
 あかん、透子ちゃんの前でこない失態晒すとは。慌てて胸元に忍ばせていた手巾で鼻を拭うと、あれよあれよと真っ赤に染まって自分でも少々動揺した。
 まったく、なにに欲情してたんや自分。そらカワイイ嫁さんや。って、あほか。なにやっとんねん。
 心中問答を繰り広げる俺を見てにやにやする目の前の男はあとでどついたるとして、透子ちゃんはそないな俺を見てちょっと呆れた顔をしはった。が、それもまた一興や。カワエエ。ほんまにカワエエ。目に入れても痛ぉない。あかん。こらあかん。
 ひゅうと口笛を鳴らす男を咄嗟に睨むと、従者に連れられ透子ちゃんが隣に座った。
「いやあ、このたびはご婚礼おめでとうございます。あれ、まだ祝言あげてなかったっけ? あげてた? いつ? まあいいや、こんぐらっちゅれいしょ〜ん」
「まじめにやれや」
 ぱちぱちと奴の態度どおりだらしのない拍手が響いてすかさず俺は立ち上がる。
「直哉」
 しかし、ぶち殺したろと殺意を滲ませたところで親父に窘められ、渋々座布団に戻った。とはいえ、「さすが吉本」という声には、「だれが新喜劇や」としっかり中指を立てることは忘れへん。しかも、ここは大阪やない、京都やぞ五条悟。舐めとんのか。
 隣で嫁さんが眉を下げて俺を見る。若干居た堪らなくなり咳払いをしたが、そのあとどこか緊張をほぐしたような微笑に合掌や。ほんま尊いで俺の嫁さん。
 そんなこんなで、ようわからん顔合わせが始まった。
「悟さま、その節はお世話になりました」
 ひと息置いて、透子ちゃんが三つ指をついて綺麗に頭を下げる。こんな奴にエエでほんまと思うが、実際にはそうも言ってられへんかった。
 俺と使用人の透子ちゃんが一緒になれたのは、ほかでもない悟くんのおかげやった。
 側室ならともかく、一介の世話係を正室に迎えられるほど禪院は甘くない。昔話じゃあらへんし、身分違いの婚姻が許されんなんてとんだ時代錯誤やと普通の人間は言うかもしれんが、俺のいる世界は普通やない。
 古くから続く御三家、禪院という名を背負う俺に、普通の道を歩むことなど無縁やった。禪院の血を穢さぬよう、正室に迎えるのは、当主のみならず親戚一同が認めた由緒正しき術師家系の子女のみ。それが当たり前。俺も、そらそうやと思っていた。だが、人生はままならん。
 どうしても透子ちゃんを手放せなかったのが、この俺や。
 散々非道い仕打ちをしておいてホンマに情けない話やで。でも、ホンマに、ほんまに、透子ちゃんだけは手離しとおなかった。
 はじめて見た瞬間――は、甚爾くんに意地悪したろと思ったくらいだったが、「直哉さま」と鈴蘭のそよぐ声が、いつしか俺を離してくれなくなっとった。
 彼女の長く柔らかな髪を撫でるのが好きやった。「今すぐお手当を」今にも心配で泣き出しそうな顔、「そないなことありまへん」ときおり出てくる国訛り、「お揃いですね」と伸びてきたその手のあたたかさ、ぜんぶ、全部。
 そうして、自分の中でどうにもできん独占欲と征服欲が膨らんで弾け、狂ったように透子ちゃんを抱き、そのまま壊してしまいそうになったところを、悟くんに救われてしもうたわけや。
 どこからか側仕えを監禁し日夜抱き続け、情欲に狂ってしまった俺のうわさを聞いた真依ちゃん真希ちゃんが先の男に話を通したらしく、彼は透子ちゃんを五条家の養子として迎えると言い出しおった。当然、初めはわけがわからんと憤慨した。透子ちゃんは俺のやと。五条だろうと加茂だろうと渡さへんと。
 しかし、俺のためだと悟くんは言った。
「彼女を離したくないなら、手を貸してあげる。ただし、条件付きだ」
 ひとつ、彼女に行なった諸々の悪事を認め謝罪すること。ふたつ、彼女に負わせた心の傷の責任をとること。みっつ、彼女や彼女たち女性、あるいは虐げられてきた人間たちの名誉と権利を取り戻すための努力を次期当主の名において行うこと。
 そして、生涯彼女を護り愛すること。
 さもなくば、彼女は五条家が引き取り今後一切の接見を禁ず。
 側から聞いたら、砂でも吐いてしまうようなうすら寒い誓約やった。五条悟になぞ、死んでも頭を下げるか。ふざけとんのか。そう思った。しかし、俺は、その手をとらずにおられんかった。彼女を離したくなかった。
 まあ、まず当主がそんな話を許すかっちゅう話やったが、あのクソ親父は俺が改心できるもんならやってみろと半ば面白がって許可したらしい。
 どうなっとんのやろな、禪院家。
「あとそのピアスごつごつつけてんの、マジでチャラいからやめたほうがいいよ。引く。セックス中に彼女のあそこに穴開けて、俺のモンや、って言い出しそうでマジ引く」
 という言葉は、無論一蹴した。
 それで、奴との約束どおり彼女に詫び、当然それでも足りないモンやから死ぬまで責任をとると契り、まあ、次期当主らしい態度は少しずつやな。
 といっても透子ちゃんに、「真希さま真依さまに心なく告げてきたこと、行ってきたことを謝ってほしい」と泣く泣く言われ、「ほな、悪かったわ」と双子には頭を下げた。だが、かえって気味悪がられたんは、言うまでもない。
 ほんまにあいつら人間として可愛げがないで。
 長い回想もそこまでや。
「いえいえ」
 悟くんは言う。
「可愛い可愛い僕の透子のためならあれくらい朝飯前。本当はさあ、あのまま五条名乗っといてくれてもよかったんだけど、どこかの寂しがりやな狐さんがコンコンうるさくてね」
「あ?」
 慇懃に頭を下げた彼女を前に、へらへらと笑った男へメンチを切る。
「だれの透子や、俺の嫁さん呼び捨てにすなや」
「これだから独占欲の強い男は困るよ。ねぇ、透子、また監禁されそうになったらすぐ逃げてきなよ、僕がお嫁にもらってあげる。なにひとつ不自由はさせないからさあ、なんなら、毎日フルーツパーラーの特製デラックスパフェ付き」
「渡すか。つか、もうせえへんわ」
「直哉さま」
 ふと呼ばれて横を向くと、顔を真っ赤にしている透子ちゃんがおった。耳までも熟れた林檎みたく染めあげて、居た堪らなそうにまつ毛を伏せている。
「……堪忍やで」
「……いえ」
 か細く届いた声に、膝の上に置かれた手を握ってしまいたくなったが堪えた。かわいすぎんねんホンマに。これくらいで照れんなや。
 途端にしおらしくなった俺を親父はガハガハと豪快に笑う。
「五条悟よ、これは見ものだな」
「腐っても実の息子やで、クソ親父」
「でもさあ、奥さんの白無垢見た瞬間、ダッバダバ涙流したのは僕も見たかったなぁ、真希と真依が教えてくれたけど」
「ホンマにあの双子シめたる」
「直哉さま」
「……すんまへん」
 ここでまたクソ親父の笑いが響く。
 そんなこんなで、俺と透子ちゃんは愛を誓い、めでたく夫婦になった。

 

「悟さまとお話をされなくてよかったのですか」
 俺の後ろを歩きながら透子ちゃんは言う。その悟くんは現当主との話があると客間に残った。
「かまへん。あんな奴話したないわ。そんなことより久々の休みやで、透子ちゃんと夫婦水入らずの時間を楽しむんが先決や」
 長い廊下を一定の距離を保って進むのは、かれこれ十年以上培ってきたものだ。速すぎず、遅すぎず、前を歩く俺の後ろを透子ちゃんはぴったりとついてくる。阿吽の呼吸というやつやろか。
「お疲れでしょう、お休みになられますか」
「そら魅力的やなあ。でも、せっかくならお天道さんの下歩いたほうがええんちゃう。しばらく働き詰めやろ」
 そのまま一度部屋に戻り、紋付袴は目立つからと少々控えめな濃藍の羽織姿に。彼女も揃いの呉服屋でしつらえた京友禅を。
 下足番に、「適当に出てくる。帰りはわからん」と告げて、外へ出た。
「だいぶ、暖かくなりましたねえ」
 屋敷からゆっくりと閑静な並木を歩く。すっかり散ってしまった樹々の中、桃が蕾を膨らませ始めていた。
「そやね」
「今年は桜がたくさん咲くとよいですね」
「まぁ、咲くんちゃう」
 後方から聞こえてくる声にそれとなく返しながら、やがて俺は言った。
「もう後ろ、歩かんでもええで」
 でも、と答えあぐねるような言葉が続いて、「ええから」と促す。
「……では」
 彼女は遠慮がちに歩んできたが、やはり半歩後ろだった。かまへんけども。かまへんけど、ちょっとちゃうねん。
「隣来ぃ」
 俺かて、こんなん恥ずかしい。でも、そっぽを向いて言うと、彼女は静かに横に並んだ。さりげなく差し出した手に、彼女は自分の手をそっと重ねる。
 それでええと俺は小さな手を握り返した。
「どこか行きたいとこあるん」
「行きたいところ、ですか」
「どこでもええよ、連れてったる。なんたって天下の禪院直哉さまやからなあ」
 彼女はくすりと笑った。風にそよぐ桃の花を感じさせて、春を先取りした心地になる。
 ぽろぽろと歩き出すと、思いのほか彼女の歩みが遅いのがわかった。
 阿吽の呼吸なんかやない、何年も何十年も、さっさと前を歩く俺に合わせてちっこい足を懸命に動かしてたわけや。あほらし。心底、自分の横面を張りたなる。
「で、決まったん」
 訊くと、彼女はぽつりと答えた。
「河原町でしょうか」
「四条? 花街にでも興味あるん」
「いいえ、鴨川に」
「鴨川?」
 なんたってそないなとこ。祭りでもあるんかと横を振り向くと彼女はこそばゆそうにそっと瞳を伏せる。
「恋人は、鴨川の河川敷を手を繋いで歩くって聞きましたから」
 繋いだ手の力が、ほんの少し強まる。
 ホンマにホンマにホンマ、ここで犯したろかと思うほどには、なにもかも奪われていた。しかし満ち足りた胸にひとつ深呼吸をして、俺はその手を自分のほうへやわく引く。
「ほな、行こか」
「はい」
 夜はどないしてやろ。子どもは何人作ろか、透子ちゃんに似た女の子がエエな、まあ男もおってもええけど、透子ちゃんと結婚する言い出したら困るからな。
 そんなことを性懲りもなく考えながら、足音を合わせ、進んでいく。

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2026年1月31日2018-2025巣食う魔物,禪院直哉