「どうしたんだい、ん?」
キッチンに立ちながら、カウンターの向こうに見える光景に思わず頬がゆるんだ。Tシャツにカーディガンというラフな出立ちで、ダイゴは腕の中の小さき存在と見つめあい、笑いあっていた。最初はたどたどしかった手つきが、今ではすっかり慣れたのかしっかりと片腕に抱いて、空いたほうの手でぷっくりとした頬を撫でている。
銀色の目映い髪と、好きとおるように白い肌。その子はダイゴの声にきゃっきゃっと楽しげな声をあげる。
「本当に、かわいらしいね、キミは」
なんて、ダイゴファンが聞いたら卒倒しそうな甘い声で、さらにはとろける顔で言うものだからついつい私も笑ってしまう。
「そろそろミルクはいかがですか、お嬢さん」
「さ、時間だよ。遊びたいのはわかるけど、ミルクを飲むのもキミの仕事だからね」
お湯を入れて適温に冷ました哺乳瓶とマリル柄のガーゼを手にリビングへ向かう。太陽の光すらも彼女にはアトラクションなのか、カーテンの隙間から射し込む光に眩しそうに目を細めてはまたケラケラと笑う。
ダイゴの腕の中にいるその子の頬をつつくと、小さな手が伸びてきて私のそれを掴んだ。
「ダイゴに飲ませてもらう? それとも私?」
マァーと舌ったらずな声で応えてにっこり。ダイゴがはぁと感嘆のため息を洩らす横で、ふっと吹き出しながら抱っこを代わった。
腕に伝わる重さは、軽いようで、ずっしりと重い。きっとそれは手にかかる実際の重さではない。ぽわぽわとヒバニーを抱くようなぬくもりに全身の力が抜けてしまうところをこらえて、ソファに座る。
カロス地方、コボクタウン。古き良き趣の残る穏やかな城下町。石畳を子どもたちがリズムよく鳴らすのを聴きながら、小さなその子にミルクをあげる。
懸命に手をのばして、自分の顔より大きな哺乳瓶を抱え込んではごきゅ、ごきゅ、と喉を鳴らしてのむ。よほどおなかが空いていたようだ。
「いい飲みっぷりね」
それすらも微笑ましくてついつい顔がほころぶ。じっと目を見つめながら語りかけると青白色の瞳がきょろりと見つめ返して、ミルクを飲んでいる最中にもかかわらずニヤァとわらいだした。
「あ、そんなふうにしてると、こぼれちゃうんだから」
言ったそばからミルクがあふれ口の周りが汚れてしまう。それをガーゼで拭きとっていると、じっと前から視線が送られていることに気がついた。
「なあに、そんなに見て」
ダイゴはなんだかふしぎな表情をしている。神妙とも言えるが、でもそれよりももっとやわらかい。はにかんでいるかというと、またちがう。
「なんだか、感慨深くてね」
「たしかに、そうかも」
風のそよぐ音と、外から聴こえるのどかなヤヤコマの声と、それからこの子がミルクを懸命に飲む音。ヴィンテージというよりかはアンティークの、でも行きすぎていないナチュラル感のあふれるアパルトマンの一室。穏やかすぎる世界に私たちは存在している。
窓際にはアパルトマンの管理人とばかりにようせいのかぜを吹かせるフラエッテ。その子にちょっかいをだそうとするゲンガー……は、いつもの調子。クリーム色の壁に、目に優しい緑と木目調の家具たち。一流ホテルに比べたら狭いが、どんなスイートルームよりも素敵なお城に思える。
まさか、ガラルを出てこんな生活が待っているとは、思いもしなかった。
フラエッテにフられたのか、いつのまにかやってきたゲンガーが腕の中の赤ちゃんをのぞきこむ。またそういうことして、と思うが、すっかりポケモン慣れをしているのかゲンガーの赤い眼にもおどろかない。
「でも、ほんとう、かわいい」
ふっくらもちもちの頬にロコンも目ではないつぶらなひとみ。その瑞々しさは世界じゅうの綺麗なものをどれほど集めても敵わないだろう。額の上でくるんと巻いた髪をそっと撫でる。それを真似してゲンガーも髪をふさふさといじる。
「将来はすごい子になりそうだな」
「ね、いろいろな意味でね」
それでも動じないその子に苦笑して、空になった瓶をテーブルに置く。
「いっぱい飲んだねえ」
心なしか重くなったその子を肩に抱いて背中をトントン。そのあいだにすかさずダイゴが哺乳瓶をキッチンへさげてくれる。「あ、ありがとう」そう告げると、彼はただ口もとに弧を描いてリビングへ戻ってきた。
向かいのソファではなく、ちゃっかり私の隣へ。なかなかゲップが出ずに背中をさすっていると、「代わるよ」と手を伸ばしてきた。
「すっかり、ダイゴのほうがメロメロ」
はじめてこの子がやってきた日なんか、こわごわと顔をのぞきこんでいたくせに。抱っこする? と訊いても、いや……なんて苦笑いしていたくらいだ。それが、今やすすんで抱きにくるのだから、おもしろいもの。
肩に赤ちゃんを抱くダイゴの姿を写真におさめる。あとでミクリさんに送ってあげてね、と言うと彼は背中をやさしくトントンしながら苦笑した。
軽く空気のもれる音がして、ダイゴのうしろで赤ちゃんを眺めていたゲンガーが得意げに小躍りを始める。
「あ、寝ちゃいそう」
「ほんとう? さっきまでたくさんココドラに遊んでもらったから疲れていたのかもね」
ミミッキュたちとポケフーズを食べていたココドラがのそのそとやってきて、足元でどらぁっと声をあげた。
「ふしぎと、ダイゴの腕の中のほうがよく寝るのよねえ」
「最初は抱っこしただけで大泣きしたのにね」
「それを見てダイゴまで泣きそうになってたよね」
言わないでくれよとダイゴが困り顔をする。そのうちに本当に眠ってしまったみたいで、プリンのようなほっぺをダイゴの肩に押しつけて心地よさそうに唇をちょこんと半開きにしていた。
「……しあわせすぎて、泣きそうだ」
あまりにしみじみ言うものだから、ふっと肩を揺らす。
「自分の子どもじゃないのに?」
「それはそうなんだけどね。ふと忘れそうになるよ」
「髪の毛の色そっくりだしねえ」
――そう、もうお気づきかとは思うが、この赤ちゃんは私たちの子ではない。
銀色の髪はたしかにダイゴとうりふたつだが、くるくると額の上で可愛らしくカールを描いている。閉じた瞳は美しいアイスブルーで、お世話になっているアパルトマンの管理人さんの子どもだった。
夫婦で管理するこの田舎町のアパルトマンにやってきたのは二週間前。カロス地方を旅するのに最初はポケモンセンターやホテルを渡り歩いていたが、コボクタウンの雰囲気に惹かれてついアパルトマンの一室を借りてしまった。
もとは二十代のカップルが住んでいたのだが、ちょうど、一か月ほどイッシュ出張に行くからと、そのあいだの留守を預かる代わりに特別に借りられたのだ。ホウエンではあまりそうしたことはしないみたいだが、ガラルやカロスではよくあること。ダイゴも驚いてはいたものの、すっかりこの雰囲気と立地の最高な部屋に魅了されていた。
それはさておき、そのアパルトマンの管理人さんが若い夫婦で、ちょうど半年ほど前に子どもが産まれたばかり。歳が近いのもあってか意気投合してたびたびランチやディナーにお呼ばれする仲になったのだが、ある日、奥さんが赤ちゃんを抱きながらアパルトマンの中庭で困っていたところ声をかけると、「掃除や洗濯をしたいのになかなか離れてくれなくて」とのこと。それで、すこしのあいだ子どもの相手を買って出たのだ。
それから、暇があるとこうしてダイゴと二人でその子のお世話をしている。今日、奥さんは市場へ買い物に。午後のおやつにとっておきのフィラのみタルトを作ってくれると言っていた。
「子どもって、なんでこんなにいいにおいがするんだろうな」
わたがしのような、マホイップのような、甘くて気持ちがふわっとなるようなにおい。そっとその子の頬に自分の頬を寄せるダイゴの図もなかなかだが、その気持ちはとてもよくわかる気がした。
「ダイゴはいいパパになりますねぇ」
くるんとカールの髪の毛を指先に巻きつけて小さなあたまを撫でる。手のひらにすっぽりおさまる感じがなお愛おしくなる。
……たしかに、自分の子どもじゃないのに、ダイゴが赤ちゃんを抱っこしてとろけた笑みを浮かべているのを見ると込み上げるものがある。赤ちゃんのみならず、ダイゴも含めていとおしい。
ゲンガーがまたもやにゅっと現れて、眠るその子の顔をじいっと見つめている。
「起こさないでよ、ゲンガー」
「ゲンガーはいい子守りの相手になりそうだな」
「でも、赤ちゃんまで異空間に連れてかれたら困っちゃうわよ」
「だってさ、ゲンガー」
わかったのかわかっていないのか、おそらく前者だがいたずらな笑みを浮かべる自分のポケモンにやれやれと肩をすくめる。
「重くない?」
「全然、ココドラの十分の一の軽さじゃないかな」
「そんなに重いの? ココドラって」
「抱き上げてみたらわかるよ」
寄ってきたココドラをいつもダイゴがするようにわきへ手を差し込んで持ち上げようとする。が、ずっしり、手首がはずれそうになった。
「あなた、そんなにがっしりしてたのね」
得意げにドラッと声が上がる。ダイゴはくすくすと笑っていた。
なかなか赤ちゃんを離さないダイゴに眉をさげつつ、隣にぴっとりとくっつく。こうしているとまるで家族になったみたいだった。もちろん、私たちはもう家族なのだけれど。
身じろぎをしたその子を肩から腕に抱き直すダイゴの横で、ひとりでにくすりゆびについた指輪を撫でると、「ねえ、ローラ」ダイゴが耳もとでささやいた。
それはきっとコメットパンチよりも威力があって、途端に顔を赤くして隣を見つめた私に、彼もほんのり頬を染めてどこか照れ臭そうにはにかんだのだった。
