とってもグロリアス、だね?

 さて、ヨロイじまでウキウキのバカンス――じゃなくて、大興奮の調査を終えた私たちはようやく正式な休暇にありついていた。ガラル粒子測定器を持ち運ぶことも、ピッケル片手に洞窟へ突入することもない、正真正銘のバカンス。夏が過ぎたらすぐにシーズンに突入するため、リフレッシュするなら今しかないと、前もってダイゴと予定を合わせておいたのだ。
「どうだい、アローラかシンオウのリゾートエリアにでも」とダイゴには言われていたものの、私の行きたい場所は決まっていた。
「来たぞ、ホウエンー!」
 そう、ガラルから遠路はるばるウン万マイル。海に囲まれた自然豊かな島々、ホウエン地方に私はやってきていた。
 ヨロイじまから本島へ帰って一日、諸々の報告をでんこうせっかのごとく済ませて飛行機に飛び乗った私だった。ただでさえ休み返上でフィールドワークをしていたからか、クライマーズハイに近いものがあったと思う。ラボに帰り、一心不乱にキーボードを打ち鳴らし、そしてラボを飛び出ていく。まるで止まり方を忘れたトロッゴンのようだったと後にうわさされるのだが、それはまた別の話。
 とにかく、十時間越えのフライトでクタクタなはずなのに、元気百倍叫んだ私に、「おつかれさま」とダイゴは笑った。
「快適な旅は送れたかい」
「それはもちろん。空港に行ったら、エコノミーからファーストクラスにランクアップしているんだもの、びっくりしちゃった」
「ヨロイじまとバカンスと、キミを振り回したのはボクだしね」
「その自覚があったなんて」
 そういうわけで、長時間フライトに耐えられたのは、ほかでもないこの目の前の御曹司のおかげ。ホリデー用の格安チケット片手にチェックインカウンターへ向かったら、ローラさまはこちらへどうぞ、と高級ラウンジへ案内された人間がこの世に何人いるだろう。
 ふかふかソファにシャンパン、それからきらびやかな軽食、うっかりすべて堪能するまで帰れません! と怒涛のゴングを鳴らしてしまいそうになったところを堪えて、優雅にグラスを揺らしていた。ラウンジのみならず、機内もとてつもなくラグジュアリーだったのは言うまでもないだろう。これまたカビゴンにでも抱かれたかのような、とっておきのリクライニングシート……。
 ダイゴもダイゴで、ひと足先にホウエンに戻っていたものの、会社での雑務をつい数時間前まで行なっていたのだろう。珍しくジャケットを忘れて、ベストの姿で立つ彼の顔もやや草臥れている。「持つよ」と私のボストンを奪おうとするが、それを阻んで、彼の澄ました唇につんと人差し指をあてた。
「これくらい、持てるってば」
「ボクが持ちたいだけなんだけどな」
 そういうところ、この人が言うと本当むずがゆくなる。王子様みたいな顔をしているからなおさらだ。不満げな彼に、じゃあこれ持って、と片手に提げていた紙袋を渡して空いた手を絡める。
「……あ、繋いで平気?」
「うん? どうして?」
「だって、ここあなたのホームだし」
 人影は少ないが一応公衆の面前だ。ガラルにいたときは、ジムリーダー、チャンピオンというと下手すれば俳優やモデルよりも不動の人気を誇っていたから、外を出歩くのさえひと苦労だった。とくにキバナとは交際を公表していなかったこともあり、隣に並んで歩くなど自殺行為にも近かった。いつもこの世を忍ぶスパイのような気分を味わっていた気がする。ある意味、楽しかったけれど。
 ああ、と合点のいった様子でうなずき、「かまわないよ」とあっけらかんとした様子で言った彼の顔をまじまじと見つめる。
「ほんとうに?」
 ついすこし前までいたガラルの辺境と、ここホウエンの中枢であるカナズミはちがうのだ。だが、彼はおかしそうに笑った。
「ほんとうだよ。ボクもいい齢だしね。おやじには早く恋人の一人くらい連れてこいって言われてる」
「あなたのご家族がよくても、周りがそうとは限らないじゃない」
 やっぱり、手を繋ぐのは止そう。そう思って離そうとするが、それはかなわない。長い指ががっしりと私の爪先を捕らえて、まるでメノクラゲの触手に捕まったよう――なんて言うと、ひどいなぁと彼は肩を揺らした。
「ま、なにがあっても責任とれる歳だからね、ボクも」
「あなたが言うと、いろんな意味で怖い」
「そう?」
「そうよ」
 そんなことを言い合いながら、彼の無邪気な強引さに完敗し、車を停めてあるというパーキングまで向かった。

 はじめてホウエンに来たのは、入社して一年目、本社で行われる研修のときだった。そのころはまだ会社自体がガラルに進出して間もなく、新人への本社研修を義務づけていた時代だ。部署配属が決まる前、同期たちと胸を膨らませながら飛行機に乗り、このカナズミまでやってきたのをおぼえている。もちろんそのあいだ新たなキョダイマックスが出現しないかと、ネットニュースと掲示板の速報を日に何回もチェックしていたのだけれど。
 そのころのホウエンはまさしくなにもかもがガラルとちがって、最後まで異国である気分は抜けなかった。なかなかに厳しい研修も理由だっただろう。夜、一日のスケジュールが終わって休むときも、最後、プチ社員旅行みたく会社が所有しているクルーザーでムロに向かったときも、どこか自分がここにいない感じがした。それほどまでに、ホウエンというのは人生の中で近いようで遠い場所だった。
 さて、まず空港から市街地まで向かい、そこからカナズミトンネル上空を飛んでシダケへ向かった私たちは、ツワブキ家所有の別荘でひと休みすることになった。
 雄大なえんとつやまを臨みながらの空の移動は、その迫力についひやひやしたものの、この日のために連れてきていたアーマーガアのおかげもあり、なんとも清々しく少女時代の冒険を思い出したものだ。左手には煙を上げる活火山、右手にはのどかな大自然。それだけではない、見渡すかぎりの青々とした景色。人とポケモンとが、あふれる自然の中で共存している様は、ガラルにも通じるところがある。けれど、やはりどこかちがう。
 そのちがいをはっきり見つけることはできなかったが、シダケにつくころにはすっかりホウエンに魅了されていた。
「まさか、自分が勤めてる会社の副社長と付き合うことになるとは思わなかったな」
 さわやかな風の吹くシダケタウン。閑静な町並みからやや離れた場所にツワブキ家の別荘がある。深緑に溶け込む真珠色の洋館は、まるでおとぎ話の中の世界だった。
 喧騒からのがれたそこはまさしく休暇をとるにはふさわしく、別荘としては最高級。むしろ、別荘にしておくのがもったいないほど。ドラマみたい、と一階のリビングからのぞむ庭園に心を躍らせていると、ベストとタイをはずしたダイゴがくすりと笑いながら近づいてきた。
「人生ってわからないものだね。ボクも、キミと出会うまでは趣味に没頭するか、いつかどこかのご令嬢とお見合いさせられる日がくるのだろうなと思っていたから」
「お見合い、すごく想像つく」
 ダイゴさんとお会いできてうれしいですわ、と架空のお嬢さまが脳内でしゃべりだして、神妙な顔つきになる。ゆるゆると力の抜けた様子でダイゴは笑っているが、このひとは世界有数の御曹司なのだとしみじみ実感する。
 自分がそんなひとのプライベートな空間にいるのが、まだ信じられないくらいだ。
「ローラに出会えてよかった」
「また、そうやってすぐお砂糖たっぷりな顔で」
 言葉も声にも、砂糖どころかとろりと「あまいみつ」がかかっている感じ。頬の横に落ちた髪をすくって耳にかけ直す指先すら甘い気がしてしまう。すこしだけくたびれた目もとが、いつもの柔和であどけなく見える顔をやけに色っぽく彩る。
「このあと、キンセツに行ってみてもいいけど、どうする?」
 そうやって訊いてくるところ、ほんとうにずるい。唇をむっと隠しつつ、上目遣いであおいだ私に、「決まりだね」と彼は言った。

 その日は結局シダケの別荘で心ゆくまで過ごし、次の日からホウエン観光にでかけた。まずはヒワマキシティに向かい、幻想的なツリーハウスを堪能したあとキンセツへ。名物のちゃんぽんを味わったり、買い物をしたり、自転車を借りてサイクリングロードへ行ったり、海上を走るのはとても心地がよかった。そのあとはカイナシティという港町で赴くままに散策を。
 バウタウン生まれの私からしてみれば、海は馴染みの深い場所だが、カイナの浜辺に海の家などが建つ様はどこか新鮮だった。サングラスにラフなシャツとハーフパンツ姿のダイゴと浜辺を歩いて、飽きたら市場でぬいぐるみを買ったり、小さなオブジェを買ったり、つい素敵な柄の絨毯を見つけて買いそうになったところをダイゴに止められたり。一日はあっという間に過ぎていく。
 次の日はまず海に浮かぶキナギへ。それから、海上デートを楽しんだあとはルネへ。
 ルネはまるで宝石箱の中にいるような場所だった。白亜の街並みは目映く、陽光に照らされた紺碧の水面は瞳の奥まで鮮やかな青色に染まりそうなほど美しい。現実にある景色なのに、どこかカロスの美術館に飾ってある絵画を眺めている心地になった。
 思わず見惚れる私にダイゴはなにも言わず、隣でただ銀色の髪と、羽織ったシャツとを風に遊ばせていた。
「ルネにくるのは初めて?」
「もちろん。新人研修はほとんどカナズミに缶詰めだったし、最後、観光したのもムロだったもの」
「ムロもいい場所だよね、いしのどうくつは行ったかい」
「行くわけないでしょ」
 ははっと声を上げて、だよね、と笑うダイゴが、心なしかいつもよりリラックスして見える。
 たいていのことは余裕を持って受けとめるし、冷静で、堂々としていて、それでいて肩肘を張らない自然さが彼にはある。良く言えば、ホウエンの海のように泰然としている、悪く言えば、マイペース。何度それに振り回されたことか。けれど、ホウエンにいる彼は、とりわけこのルネにいる彼は、世界じゅうのどこにいるよりも肩の力を抜いているように思えた。
 石英を散りばめた輝きを放つ街並みをゆっくりと上がっていく。神秘的で、幻想的で、自分がどこに生きているのか、何者であるのか、そんなことさえどうでもよくなってしまう。自然の音の中に宿る深く心地よい静けさと、それとはうらはらに海溝の奥底から響く大地の音と。世界は、広い。
「キミに、見せたかったんだ」
 丘をしばらく上がり、ダイゴは言った。見下ろすのはルネの景色。海溝を囲う白亜の街並み、それから、空、広がる海。きらきらと輝いて、私の目を奪って……。その広い世界に、私とダイゴがいる。
 お互いまだやることがあるから、その道の先で人生が重なるならそのときは一緒になろう――そんなふうに、私たちは話した。仕事も研究もある、趣味だって、私たちの生きる道はまだまだ続いている。でもその中で、山や谷は当然あり、そしてそれぞれの道を歩いている。ダイゴは本社での大事な務めがある、私だってそうだ。譲ることができたら簡単なのに、譲れないからこそ難しい。だから、彼を縛りつけたくなくて――ううん、ほんとうは私が傷つきたくなかっただけ。もうこれ以上、砕けたくないから、できるだけ自分の足で立っていたかった。
 でも、ルネの風を、ホウエンの風を浴びていると、そんな意地や建前をすべてそこへ捨ててしまいたくなる。きっと、このひとなら大丈夫。このひとと、ずっと一緒にいたい。共に手をとりあい、さまざまなものを見つめていけたのなら……。
「ああ、ダイゴ。来たんだね」
 風にのり、ゆるりと奏でられるハープのような音色が届いた。
「やあ、ミクリ」
 ダイゴが応えて私も声の主をふり向く。
「はじめまして、ローラ。ダイゴからかねがね話は聞いているよ」
 ルネの海よりまぶしいエメラルドの――「ミクリ様だ」
「え?」
「あっ……」
 咄嗟に口を塞ぐ。壮大な景色の中、きょとんと目を丸くした二人を前に、私は消え入りそうな声で、「母が、大ファンなんです……」と風につぶやいた。

「まさか、ガラルにまで応援してくれるファンがいるとはね」
 ルネのミクリといえば、そう、コンテストマスターのミクリ様である。その美貌はさることながら、みずタイプのポケモンたちとのイリュージョンで何度もマスタークラスの会場を沸かせたものだ。紅茶に口をつける姿さえも様になっており、なんとも神々しい。
 遥か昔に描かれた宗教画のような美しさに見惚れていると、横でダイゴがンッと咳払いをした。
「一度、友人たちと旅行したホウエンで、あなたの出場していたコンテストを見たそうなんです。それ以来、テレビの中継があれば必ず録画していたほどで」
 知らなかった、という顔でダイゴはじっとり私を見た。それもそうだ、言っていなかったもの。
「ずいぶん熱狂的なんだね」
「うん、今でもたまに会いに行くと壁にブロマイドが増えてたりするの。しかも、家族写真みたいに自然に飾られてるから、お父さんにこれどうしたのって訊いても、ああミクリくんか、って」
 すみません、ほんとう……と頭をさげる私にミクリさんは優雅に笑う。
「その様子だと、ダイゴより先に私のほうが認められてしまったな」
「ミクリ、痛いところを突かないでくれるかい」
「すまない。だが、ダイゴがそんな顔をするのもめずらしくてね」
 つい、と弧を描く仕草さえグロリアスだ。ここに母がいたら卒倒していたにちがいない。いなくてよかった、ほんとうに。
 ひそかに安堵する私をよそに、はあ、とダイゴはため息をついた。
「それで、カナズミにはいつ挨拶に?」
「ミクリ」
「おっと、これは失言だったかな」
 今度は私が苦笑する番だった。
「今回はただのバカンスなんです。ちょうど二人とも仕事で忙しくて、しばらく会えていませんでしたし、それなら休みを合わせて思い切り羽をのばそうって」
 それを決めたのは二か月ほど前なので、本当だったら恋人たちの感動の再会はホウエンになる予定だった。結局、うれしい大誤算があってその前にヨロイじまで何日も一緒に過ごすことになったのだけれど。
「シンオウのリゾートエリアはどうかって言っていたんだけどね」
「おや、君、あそこの別荘は人にあげてしまったんじゃなかったのかい」
「あげた?」
「まあ、その話はまた今度」
 サラリとすごいことを言われた気がするが、もはや驚きはしない。石をあげるような感覚で――否、石をあげるほうがもっとためらうだろう。とにかく、軽い調子であれもこれもとすごいものを手放すイメージが容易にできて、私はやれやれと目を回した。
「でも、ホウエンに来てくれるなんて、私としてははうれしいかぎりだ」
 優美な笑みを向けられ、私は眉をさげる。
「いつも、ガラルに来てもらってばかりでしたから。それに……」
 隣のダイゴをちらと盗み見る。いつもの澄ました表情は抜け落ちて、年相応な男のひとの顔つきだった。それはきっとガラルでも、シンオウでも、あるいはアローラでも見られなかっただろうもののひとつだ。
「ダイゴの生まれ育った場所を、しっかり感じたかったのがいちばん大きいかな」
 らしくないことを言ったと肩をすくめて、紅茶に口をつける。正面からは優しい笑みを、隣からは珍しく狼狽えた表情を、一挙に浴びていたたまらない。
「まいったな」
「一本取られたね、ダイゴ」
「一本どころか、百本に近いよ」
 ダイゴは息を吐いて天をあおいだ。私も、顔どころか全身が熱を帯びたみたいで、またまた、とわざとおどけて返した。
 その後も話に花が咲いて、しばらく紅茶とクッキーをいただいたあとは、特別にジム内部を案内してもらったり、内緒で持ってきていた粒子測定器を測らせてもらったり、はたまたパートナーのミロカロスを見せてもらったり、実にいい時間を過ごさせてもらった。
「それで、君はまだずいぶんと理性的なカップルを続けるのかな」
「なにが言いたいのかな、ミクリ」
「さあね。ただ、私が知る限り、君は欲しいものが目の前にあったらなにがなんでも手に入れないと済まないタチだったなと思っただけさ」
 ジム内の特別プールで優雅に水浴びをするミロカロスを観察する私を、二人はすこし離れたところから見ていた。親子のように、あるいは兄弟のように、しかし唯一無二の友人として、肩を並べながら。
「付き合いが長いと、これだから困るな」
「そんな顔をしているのが悪い。――で、本当のところは?」
 ふり返った瞬間、ダイゴと目があい、照れくさくなってはにかむ。
「……今すぐ、すべてを奪いたいくらいだよ」
 あの二人がそろうと、世界じゅうの人間がメタモンに思える。なんてことを考えていた私には、そんな会話がなされていたなど、知るよしもなかった。