「なんっで、ひと言も言わないの!」
昼下がりのブラッシータウン、ポケモン研究所。天井まで連なる本棚や温室型アトリウムのあるお洒落なそこに、私の心の叫びがこぼれだす。
優雅にアフタヌーンティーをするマグノリア博士の手前、それはひそひそ声に変わったが、つややかなスリーピーススーツの麗人を研究所の隅へ引っ張っていく私の頭は、今にもだいばくはつしてしまいそうだった。
ごめんごめん、と悪気もなく笑うサプライズの張本人に、私はもごもごと唇を結ぶ。
「しかも、わざわざ徹夜明けの今日だなんて、あんまりだわ」
「だから、疲れたような顔をしていたんだね」
「測定値の解析と実験が詰まってたの!」
いくらオコリザルのようにキーキー騒げども変わらず恋人は笑っている。
エンジンシティスタジアムでチャンピオンの試合を計測させてもらってから一週間。ラボに結果を持ち帰り、ひたすら数値の解析と分析をしてソニア博士とマグノリア博士と今後の展開を話し合う予定であった。だというのに、初っ端から大誤算な人物の登場により予定が狂ってしまったわけだ。
「副社長がホイホイ本社を離れていいの? しかもホウエンどころかガラルなんて」
「大丈夫、しっかり出張申請はしてきたさ。それに、きちんとした用があって来たんだよ」
ぱちり、目を瞬いたところで、さて、と彼が視線を上げた。
「ボクも、キョダイマックス現象について、勉強させてもらっても構わないかな」
そんなことって、ある?
全然よくない! と思う私とはうらはらに、ホップくんと一緒にホワイトボードや資料の準備をしていたソニア博士が、満面の笑みを浮かべて、「もちろん!」と答えた。
「ソニア博士は、知ってたの」
どんな拷問……とばかりに、結果報告と話し合いを終えげっそりとした私の横でソニア博士は優雅にティーカップを傾けた。
「そりゃあ、ヨロイじまの調査許可に関しては、リーグ本部以外にウチを通さないといけないしぃ?」
「調査許可?」
「あー、なんでもない。とにかく、先週ウチに連絡があってさ、近々そちらに伺いますって言われたから、だったら来週来ちゃえば? って提案したんだよね」
思わず、そんなばかなぁ、という情けない声が洩れた。まさかここがグルだったとは。ノリが軽すぎやしないかと肩を落として私も紅茶に口をつける。今日は脳を酷使したこともあり、砂糖多めのダージリンにスコーン付きだ。おばあさま特製なの、と彼女もまた徹夜続きの顔に光を浴びながら言っていた。
もはや諦めモードに入りながら香ばしいにおいを抱きしめ、次はケーキスタンドに手を伸ばす。ぱっくりと口の割れたスコーンを二つに割ってクロデットクリームとジャムを載せ口に運ぶと、ソニア博士の予想は見事的中。疲れた体にも頭にも、なんとも最高な組み合わせだった。思わず、んぅ、と力の抜けた声がこぼれるほど。
「でも、本当、仲がよくていいなあ」
ダイゴを眺めながらソニア博士がつぶやいた。
現在、彼はホップくんとともに温室エリアでポケモンたちと触れ合っている。ガラルニャースに興味津々みたいだ。
「仲、いいのかな。まあ、今のところ喧嘩はないかも、遠距離だし」
いつもどおりはがねタイプゾッコンな様子に苦笑していると、ソニア博士はネイルの施された綺麗な指でスコーンを崩しながら、なんとも含みのある顔を向けてきた。
「なんですか、博士」
「ローラさんにも伝えますかって言ったら、彼、なんて答えたと思う?」
……なんだろう。突拍子もないように見えて、常識人なところもあるから、「よろしく頼むよ」と慇懃な態度で答えそうなイメージだ。けれど、伝わってないということは、どうやらちがうらしい。わからないと肩をすくめた私に、彼女はちらとダイゴを一瞥して残ったスコーンの片割れを指先でつまんだ。
「来ることを知ったら、気を遣うからってさ。ただでさえ、苦労しているところに重荷をかけるのは、ってすっごく申し訳なさそうにしてたよ」
そんなこと……結局ダイゴだって気を遣っているじゃないか。息をつくと、「まあまあ、暗い顔しない! ダイゴさんの粋なはからい、素直に受け取っちゃいなよぉ!」とソニア博士は私の背中を叩いた。
「それに、彼の口から伝えたいことがあったんだよ、この場でね」
ちょうどそこでホップくんとダイゴが戻ってきた。温室のガラスドアを開ける直前に目が合い、彼が優しく微笑する。その姿もちゃっかり博士に目撃され、「やっるう」と口笛までもらってしまった。
「ダイゴさんもスコーン食べますか?」
「そうだね、もし迷惑でなければいただこうかな」
「ソニア、オレも」
「アンタはダイゴさんにコーヒー淹れる!」
賑やかな研究所の風景に、「お気遣いなく」と爽やかにわらって溶け込む恋人になんだか力が抜ける。彼の前では、できるだけ完璧でいたいというプレッシャーがあったからかもしれない。その反動が一気にのしかかってきた気がした。
「なんだか、ダイゴがここにいるって変なカンジ」
つぶやくと、彼はそうかなとまなじりを垂らして前の席に座る。
「でも、新鮮で、それでいてあたたかくて、とても心地がいいね、ここは」
私がこの田舎町にある研究所によく顔を出すのはそこだった。もちろん仕事だから、というのもあるのだけど、なによりソニア博士やホップくん、それからマグノリア博士たちの作り上げる空間が好きだからもある。今日だって本当は会社が休みなのに、こうしてここを訪れてしまっている。ワーカホリックと言われるかもしれないが、彼女たちを訊ねるときはきちんと時間をとることにしているのだ。
さっさと会議を済ませてラボに飛び帰る、そんな提携先もあるけれど、このブラッシータウンのポケモン研究所は格段に心地がいい。どれだけ真剣に顔を突き合わせても、時には意見が対立しても、ソニア博士とならば手を取り合って進める気がする。カントーでよくいう二人三脚だろう。無論、デボンにとって彼女たちがいなくてはならない存在であることにはかわりがないが、それよりももっと深いところで彼女たちを尊敬している。
それが伝わったのか、ダイゴはとても優しい顔をしていた。
「キミが信頼しているのがよくわかるよ」
「企業の研究者って身分だけじゃ、どうしても手が届かない分野があってね。でも、それすらも乗り越える元気と力をもらえるの」
キョダイマックスエースバーンの件こそ、そのうちのひとつと言える。解析と分析には骨が折れたが、こうして結果を持ち寄って議論を重ねると、なにごとも無駄ではなかったと思える。
「それで、ダイゴはなにしにきたの」
まさか、自社で進めているキョダイマックス企画の話を聞くためだけに、のこのこホウエンから馳せ参じたわけではないだろう。そっと拗ねたような顔で訊ねれば、彼はテーブルの上でゆったり合わせていた指をとんと打ち合わせたあと、「今日はキミにプレゼントを持ってきたんだ」と口もとを緩めた。
「プレゼント?」
「うん、とびきりのね」
誕生日でも記念日でもないのに? 茫然と見つめているとソニア博士が彼らのスコーンや焼き菓子の載ったケーキスタンドを手に戻ってきた。その後ろには香ばしい香気の立つコーヒーを手にしたホップくん。「ありがとう」と告げてダイゴはまずコーヒーに口をつけた。いつも以上に勿体ぶった仕草をするものだ。じれったくなってスコーンにもうひとつ手を伸ばすと、隣でネイルのきれいな指も伸びてきた。
それから、しばらくホウエンやガラルの話になり、ダイゴの旅やソニア博士の伝説をめぐる研究、そこから繋がってホップくんのジムチャレンジなど、さまざまな話題を交わしながら他愛のない時間を過ごした。
ダイゴがホウエンチャンピオンだったころのことはよく憶えている。王子様みたいな見た目だと周りでよくもて囃されていたものだ。あのスマートな見た目で屈強なポケモンを繰り出す、そのギャップが堪らないと、何人もの女の子たちが頬を染めていた。往々にしてワタル派、ダイゴ派、シロナ派などファン層は分かれるが、エキシビションマッチが開催されればその中でもトップを張れるのではないかと思うほど黄色い声援が響いていた。
今や、そんな人が自分の恋人なのだから、人生とはわからない。大学を卒業して、デボンコーポレーションに就職するころの私は夢にも思っていなかっただろう。
チャンピオンを退いたあと、とうとう会社へ入るのかと社員たちが期待もしたが、世界をめぐる旅へ。自由な人だなぁと思うと同時に、ムクゲ氏によく似ている、と思った。好きなことを、胸を張って追い続けられる。そんな彼にすこしばかり勇気をもらっていたのは、ここだけの話だ。
「ローラさんは? ガラルのほかにどこの地方を旅したんだ?」
イッシュやアローラの話をしたのち、私のもとへ話題が舞い込んできた。
「私? 私はジムチャレンジ数年続けたあとは、ハイスクールに通って、大学入っちゃったから、あまり他地方を回れていないのよね」
「そうなのか、なんか意外だな!」
「というか、ローラさんはキョダイマックスが好きすぎて、ガラルを離れられなかったんでしょ?」
ソニア博士に言われて、「当たり」と私は笑う。
「離れているあいだに新種のキョダイマックスが発見されたらどうしよう! って考えたら、いてもたってもいられなくて。ずっとワイルドエリア駆け回ってた」
思い出すだけで懐かしい。大人になってからもしばらくはそう変わらない生活だったけれど、キョダイマックスを捕まえてはマグノリア博士を訊ねたりもしたものだ。
「キバナさんとの出会いも、そこからだもんねえ」
ソニア博士は、あっ、と口を押さえる。
「ごめん、禁句?」
「いや、大丈夫……。けど、ソニア博士も知ってたんだなと思って」
ちらり、ダイゴを確認するがにこにこ笑みを湛えている。あの顔こそ心の底でなにを考えているかわからないものだが、今はそっとしておこう。
「ルリナを通じてね」と言い添えたソニア博士になるほどと眉をさげる。
「それで、他地方の話だけど、大学卒業前にカロスを旅したよ」
たしかあれは論文を提出してやっと卒業が決まった夏だ。お祝いと称してガラルを飛び出した先は華の都カロス。
「へえ! カロス! なんかオシャレだな!」
「そうそう、すごいオシャレ」
ガラルと雰囲気は似ていれど、やはりカロスは可憐でどこか華やかだった。花であふれたパルテール街道、プリズムタワーきらめくミアレシティ、金色のミロカロス像のパルファム宮殿や水族館のあるコウジンタウン。結局、観光に満足したあとはプラターヌ研究所にお邪魔することが多かったのだけれど。
「その話は初めて聞いたな」とダイゴが言う。
「言ってなかったっけ?」
「うん、アローラやイッシュの話は聞いたことがあったけど、カロスはなかった」
「そっか、学生時代の話だからしてなかったのかも」
紅茶を飲むと、横からなにやら視線を感じた。
「ソニア博士?」
「プラターヌ博士といったら……いや、やっぱりなんでもない!」
またよからぬ話題だろうと思うが、それは女子会でするとして、「カロスといったらメガシンカ、ダイゴもカロスは旅したんだよね?」と話題を振る。
「うん、チャンピオンになってからも、なる前も、何回も訪れたよ。ホウエンのメガシンカが発展したのも、カロスじゅうを旅して得ることがあったからだし、それにあそこはいい採掘スポットがたくさんあるからね」
やっぱり、とダイゴを見れば彼はちょこんと肩をすくめた。
延々と話は尽きず、時計の針がケーキ1ピースぶん進んでもマグノリア博士特製のスコーンをお茶菓子にアフタヌーンティーを楽しんだ。
「恋人も混ざって友達と一緒に会話をするのって、なんだか素敵」
小休止とばかりにポケモンたちの餌やりの時間になり、ダイゴとともに庭に放たれた子たちの世話を買って出る。このあとは一度会社へ戻って資料を置きに行く予定だったが、それは休みが明けてからでも遅くはない。ダイゴもそうだったようで、進んで一緒に残ってくれた。
「それはよかった。ボクも、キミの普段過ごしている様子を見られてうれしいよ」
ポケモン慣れ――といったらおかしいかもしれないけれど、ポケフーズを持って彼らと触れあうダイゴの姿は見ていて心が落ち着く。
ポケモン一匹一匹を蔑ろにすることなく対等に見据え、それぞれの個性や特製を大切にしながら接することができる人って、なかなかいないものだ。幸いにしてそうした人たちをいくらか知っているが、その中でも彼は特に物腰が柔らかくて慈愛に満ちている気がする。カムカメがやってきても手でポケフーズをあげようとしてしまうため、すぐにストップをかける始末だ。
「その子は、目の前に現れたものすべてに噛みつく習性があるから、気をつけて」
「なるほど、勉強になったな」
「そっちの子は、クスネ。肉球がふわふわで、足音を盗む達人なの。なかなか触らせてくれないけどね」
ダイゴの手からポケフーズをくすねたその子がシュタッと音もなく去っていくと、次にやって来たのはパステルカラーのたてがみが美しいポニータだった。
「これが、ポニータのガラルリージョンフォームか」
「わたがしみたいで、とってもかわいいでしょう?」
よく遊びに来る私を覚えているからか、そっと首を撫でてやるとその子は甘く喉を鳴らす。ガラルポニータはその見た目から小さな子どもたちの人気者だ。けれど、容易にルミナスメイズの森へ捕まえにいこうとすると後悔する。半日ほど迷子になったことを思い出して苦笑するとダイゴが私を見て微笑んでいた。
「キミは本当にポケモンが好きなんだね」
それは、ダイゴも同じだ。意外と似たもの同士なのかもしれない。「あなたもでしょ」やれやれ言う私に、そうだねと彼は髪を揺らした。
「おーい、二人とも、そろそろ戻っておいでー!」そんな声がして、返事をする。手にしたポケフーズを寄ってきたジグザグマにあげ終え、おもむろに立ち上がる。
「待って」
ダイゴは胸元からなにかを取り出した。
「これをキミに」
ベルベットの小さなポーチだった。なんだろうと受け取ると、中から出てきたのは鉱石だった。
「きれい」
うっとり、三センチほどのそれを手のひらに載せたまま太陽にかざす。ごつごつと岩から採掘されたばかりといったそれは、宝石というにはあまりに拙い。だが、岩石の中から突出したルース部分は光を集めて薄く虹色にきらめいていた。
「それもフローライトの一種なんだ」
「フローライトっていうと、第二鉱山で採れた石?」
「うん、これは限りなく透明に近いブルーフローライトで、中に虹が見えるだろう? 鉱石内にできたヒビ――クラックが光を反射してプリズム効果をもたらしているんだ」
ルース部分は二センチにも満たない。それでもきらきらと光を反射し、さまざまな色を見せてくれる。西に渡る陽射しが、目映いほどのきらめきが目を奪って、いつまでも離してくれなくなる。
「あいにく、新しいメガストーンは発見できなかったんだけど」
残念そうな口ぶりのくせに、ちっとも悔しがる声色ではない。
「でも、すばらしい石は見つけられた」
ああもうこの人は。目の奥がツンとしてあらゆるすべてを抱きしめたくなる。泣きたいような、困ったような、そんなふうに笑って、もう、と手のひらの石を大事に包み彼に向き直る。
「それと、これ」差し出されたのは、一枚のチケットだった。
「正式に調査許可が下りたんだ」
息が止まりそうだった。否、確実に止まっていた。
「なんで、そんな……」
信じられない、そんなふうに《ヨロイじま行き》のチケットとダイゴとを見比べている私に、彼は一転、真面目な顔をする。
「勘違いしないで、これはボクの力じゃない。キミやキミたちダイマックスラボ全員の熱意が伝わった結果さ。ただ、ボクはそれを伝えにきた、それだけのこと」
でも、私情もすこし挟んだかも、と彼は困り顔を浮かべる。
「これが、ガラルに来た理由?」
「うん」ダイゴは迷いなくうなずいた。
「直接、キミに伝えたくてね」
うしろでソニア博士がホップくんの肩を叩いているのが見える。そしてそれをマグノリア博士が窘めている。仕事に私情は挟みたくない、そんなふうに言ったくせに。でも、今は胸がいっぱいだ。
唇を噛み締め息を吸い込む。ダイゴはチケットをもう一枚とりだして私のそれと並べた。
「ボクと一緒に、調査へ行ってくれないかい」
なんでも、珍しい石が採れると風のうわさで聞いてね、と、頬を上気させながら子どもみたいに照れる彼の首に、私はこれでもかと勢いよく抱きついた。
