第一話 鉱国の姫君

 すべての始まりは、ディアンシーと人間の男が恋に落ちたことだった。
 昔々、カロスのとある地方ではメレシーやディアンシーたちが洞窟や岩の中に王国を築いているというのは有名な話であったが、実際にその姿が確認されたことは数百年数千年のうちほんの一度たりともない。だが、その王国の築かれた近隣の人間たちは、おおよそ彼らがそこに棲んでいることを知っていた。なぜなら、嵐のあと、あるいは大雨が降ったつぎの朝、家の前に一粒のダイヤが落ちていることがあるからだ。
 その昔、言い伝えとして、嵐がくると洞窟に水がたまり村に大きな禍をもたらすという話が残っていた。伝承は風習として力強く根付き、大雨が降ると洞窟や岩の穴に水をためないよう、人々はこぞって土嚢や石で入り口をふさぎにいったものだ。人間にとっては、当たり前にやってきたことであっても、ディアンシーたちにとってはその人間のささいな行動こそが王国の安寧を守る大きな砦となった。結果、彼らの棲まう洞窟は幾度となく人間たちの風習により水の底に沈むことを免れ、ディアンシーたちはその人間たちの恩に報いようと、自分たちの作り出したダイヤで人間たちにささやかな礼をしていたわけである。そうして、朝露に煌めく軒先のダイヤの話は、たびたびカロスのほうぼうへと広まっていった。
 さて、そんなディアンシーたちの伝説がまだ伝説ではなかったころ、とある鉱国の姫君が、よそから狩猟にやってきた人間たちの暮らす集落に迷いこんでしまった。
 普段は人の目を逃れて生活するディアンシーのことである。真昼の、それこそ太陽に照らされた外の世界はたいそう魅力的であった。しかし、人間たちにとっては、陽光を燦然と反射するダイヤをまとったディアンシーこそが魅惑的な生き物であった。人間たちはこぞって、めずらしく、うつくしいポケモンを捕まえようとした。
 そこで、現れたのはその地域を治める侯爵家の嫡男であった。その地域では、メレシーたちの突然変異により生まれ、そして生まれながらに彼らを統べるディアンシーは、穢してはならぬ絶対的な存在であり、守護すべき神秘的な富の象徴であった。子爵によってディアンシーは救われ、難を逃れることができた。
 お礼にとダイヤを作り出してみせたディアンシーだったが、子爵はそれを受けとらなかった。なんとかして礼をしたいディアンシーは、その後も彼への贈りものを考えては探し、花や花の蜜の固まっためずらしい琥珀、それから自らの棲まう洞窟で鉱石を見つけては彼に届けた。あまりに献身的な態度に折れたのは子爵のほうである。その贈りものの中から、可憐な桃色の、そう、ディアンシーのような花をついに手にとって微笑んだ。ディアンシーにとってはその人間の行動が不可解であり、しかし、それこそが石の心を溶かすきっかけともなった。
 ディアンシーは人間の言葉を話せない。だが、意思疎通をはかることはできる。二人はすぐに心を交わし、深く胸の裡で結ばれることとなった。そうして、彼らは以後も人目を盗んでたびたび逢瀬を重ねた。あるときは真昼の深き森の中、またあるときは、王国からひと山離れた洞窟の中。そうして互いに惹かれ合い、恋に落ちた二人は結婚を決意した。
 だが、ディアンシーが父にそのことを伝えると、むろん、王である彼の答えは、否、であった。
 遠い地方では、人間とポケモンが結婚をしたという伝承も残ってはいたが、それでも人とポケモンの婚姻は異端であった。貴族である男の家においては、親の決めた婚姻以外は一切認められなかった。
 悲劇にも、結婚を反対された姫と子爵は、ともに心中することを決めた。結ばれないのなら、せめてその身が清いまま、あの世で共になろうという強い愛だった。そのころは、身分違い、あるいは種族違いの婚姻は認められない厳しい時代であったため、貴族たちの間ではそういったことは決して珍しくはなかった。
 覚悟の末、二人は互いの親の目を盗み、だれの栖にもなっていない洞窟で、死が二人をほんのひととき別つまで、手をとりあった。だが、そうしているうちに、男はディアンシーといううつくしき存在が喪われるのが惜しくなった。
 国へ帰りなさいと言い、ディアンシーがそれを断ると、
「ぼくをきみの血と肉として、ともにつれて帰って欲しい」
 と言った。
 ディアンシーはダイヤを作り出すことの出来る、唯一のポケモンである。それらのダイヤは大地によりもたらされたどの宝石よりもうつくしく、またはるかに頑強で、稀少価値が高いとされている。なにより、メレシーたちの中で唯一、彼らの棲まう鉱国のエネルギーである「聖なるダイヤ」を作り出せる存在であった。
 ディアンシーがいなくなれば、国は飢え、荒み、やがて滅んでしまう。ともすれば、残された道はひとつ。男は自分がディアンシーの血となり肉となり、ともにそばに在ることを望んだ。
 もちろん、ポケモンの中には人肉を好むのも当然いたが、ディアンシーにとってそれは禁忌であった。人間の血や肉を喰らったディアンシーの宝石は黒く酸化し、もはや価値などなくなってしまう。果てには、ダイヤを生み出すことすらできなくなる。それに、ディアンシーは彼を食べることなどしたくはなかった。
「それならば、わたくしを食べてください」
 ディアンシーは男に願い出たのである。
「わたくしを食べれば、体はつよくなり、あなたのうつくしさは永遠となるでしょう。そうすれば、ともにいられます。ずっと、ずっと……」
 男の答えも聞かぬ間に、ディアンシーはそうして自らの体を削り、男の一部となった。男だけがディアンシーの意思を受け継ぎ、生き残った。
 やがて、男が国へ帰ると、娘の不在を悟った鉱国の王が怒り、嘆き、悲しみ、果てには男に残酷な呪いをかけた。
 想いのこもった涙は至高のダイヤとなり、血は真っ赤なルビーとなる。愛の果て、男は愛しき者を想い泣くことも、その身を掻いて死ぬこともできぬ体になってしまったのだった。

 

「おや、君がおとぎ話とはめずらしいものだね」
 聞き慣れた声がして、ダイゴは読んでいた本から顔を上げた。
「ああ、これかい。先日、カロスのとある宮殿に伺ったとき、そこの姫君がボクにくれてね」
「王族ともつながりがあるとは、ますます君という男が末恐ろしいよ」
 親友であり、長年の好敵手であるミクリの言葉に、ダイゴはやんわり笑って彼を目の前の席にうながした。
「たまたま、新たなメガシンカの石を追いかけていたら、その城にたどり着いてね。結局、石についてはなにも掴めなかったんだけれど。……それより、コーヒー? 紅茶?」
「では、紅茶をいただこう」
 了解、ダイゴはギャルソンに目配せをし、ダージリンを頼む。
 あたり一面、純白の壁面や建物に囲まれていた。真上から降りそそぐ太陽の光がはねかえり、そこかしこでダイヤをちりばめたように輝いている。洞窟とちがって、はるかに目映い。だが、白亜にうつくしく彩りを与える紺碧のパラソルの陰に隠れて、日ごろの喧騒を忘れるのにはまさにうってつけだった。
「それで、三ヶ月行方をくらませたあいだ、君はカロスの洞窟にこもっていたわけだね。私が『あの部屋』でなかなか来ない挑戦者を待ちわびているにもかかわらず」
 こうして、このルネのカフェテラスでミクリと会うのは実に久しいことであった。
 チャンピオンを退いて、早、三ヶ月。この親友にすべてを委ねていたためなにひとつ心配はなかったが、自分がそれほど石探しに夢中になっていたとは思いもよらなかった。
 昔から好きなもののことになると、時も場所も忘れて集中してしまうのはよくないくせだ。ダイゴはミクリの言葉に苦く笑うと、その詫びと礼だとばかりにアタッシュケースの中からカロス土産のミアレガレットやめずらしい石の詰め合わせを出してミクリに渡した。
「ミクリには本当、世話をかけるよ」
「そう思うなら、せめて自分のご両親には連絡を出したらどうだい。親父さんがずいぶん探していたようだよ」
「おやじは、まあいつもの用事さ。会社にもあとで報告しにいくつもり」
 ミクリはそのいつもの土産セットを見てやれやれと肩をすくめたものの、きちんとそれを受け取った。
「しかし、カロスか。久しく行っていないが、ミアレシティは無事再建されているようだね」
「そうだね。ジカルデの件はどうなることかと思ったけど、あの街の人たちは強いよ」
 いつもさすらいの旅に出て久しぶりにホウエンに帰ると、たいていはミクリのもとへやってきていた。互いに、大した用はない。近況報告と他愛のない話、それだけだ。他愛のない話にはもちろん、彼の趣味である石集めのことが多分に含まれるのだが、それを聞き流してくれるのも昔からミクリの役目であった。
 そうして、今日も一つ、二つと土産話をして、潔く別れる。その話の中に、ダイゴがいましがた読んでいた本の話も埋もれていく、そのはずだった。
「その本は?」
 ミクリの涼やかなまなざしがダイゴの手元に落ち、ダイゴは、ああ、と本を手にとった。
「カロスに伝わる、伝説のポケモンの話さ」
「へえ、見せてもらっても?」
 どうぞ、と言って、染め粉によって描かれた姫と貴族の絵を表にミクリに渡す。
「さしずめ赦されない恋の話といったところかな」
「まあ、そうだね。だけど、意外とおもしろかったよ」
 はらりと一ページ目をめくって、ミクリは右から左へと目を動かす。ダイゴはそのあいだコーヒーを口につけた。
 表紙に描かれた鉱国の姫、ディアンシーと彼女に忠誠を誓うようにひざまずく、壁襟にプールポアンを身につけた貴族の男。その他多くの恋物語のように、障壁を乗りこえて結ばれる話に思える。だが、ディアンシーの足もとは、まるでつながりあった細胞がほどけていくように彼女を形づくる鉱石が崩れ地面へと落ちている。
 そして、男の頬には一粒のダイヤが転がっていた。
「ところどころ読めない単語がある。かなり昔のものじゃないのかい、これ」
 ミクリの言ったように、一見現代風に見える本だが、紙はかつて中世時代に用いられていた羊皮紙であり、描かれている絵も連なる文字も電子機器を使用した印刷のそれではない。ダイゴを気に入ったというカロスの小国の王女が、父に内緒で託した家に伝わる秘伝の書だった。
 メガシンカのルーツを辿るため、古カロス語を勉強していたダイゴにとっては馴染み深いものであったが、ミクリにはそうではないようだ。
「一説によると、今から何百年も前のものらしい。かなりすばらしい保存状態だよね」
「そんなものをひょいと渡さないでくれるかい、君は」
「ごめん。つい夢中になって読んでいたものだから、すっかり忘れていたよ」
 ちぐはぐなダイゴの性分に、ミクリは呆れを隠さずにため息をひとつもらして、本を丁重にダイゴへと返す。
「でも、ダイヤを作り出せるほうせきポケモンが出てくる話とは、その姫君もよくぞダイゴの嗜好を見抜いたものだ」
 ダイゴは肩をすくめる。
「読めているじゃないか」
「言ったろ、ところどころ、さ。結局、最後男にかけられた呪いは解けたのかい?」
 ふるりと小さくかぶりを振って、ダイゴはざらついた本の表紙を撫でた。
「そこまで書かれてはいないんだ。ただ、やがてその男の身は略奪の対象となり、あらゆる争いの象徴となってしまった。悲しい話だよね」
 涙が至高のダイヤになり、血が深紅のルビーとなるならば、それもそうだろう。顔をしかめたミクリにダイゴはくしゃりと困った笑みを載せる。
 そう、この話はこれで終わるはずだった。

 そのあとも二、三、他愛もない話をして、ダイゴはミクリと別れた。ルネを飛んで、自らの所属しているデボンコーポレーションのあるカナズミへ。だがその途中、カナシダトンネルの出口付近で、一人の女性が蹲っているのを見つけると、慌ててエアームドを下降させた。
「大丈夫かい」
 額を押さえて俯く彼女に、ダイゴはジャケットの胸元からハンカチを差し出す。
「大丈夫です。すみません」
 頷くばかりで、彼女はハンカチを一向に受けとろうとしない。ダイゴは辛抱強く声をかけた。
「傷を見せて。ひどければ、カナズミへ行って治療しよう」
「だめ」
 なにかに怯えたその様子に、ダイゴは眉をひそめる。だが、微かに見える唇からすると、そう悠長にもしていられなさそうだ。
 驚くほどに血の気が失せ、力なく開いている。このままでは街に着く前に、どこかで倒れてしまうだろう。小刻みに震え、ひどく丸まった背に手を添えて、できるだけやさしく、そう、もろい鉱石にふれるように優しく、彼女の手に指を伸ばす。
「だいじょうぶ。ボクは、君を傷つけない。さあ、すぐに止血しよう」
 だが、そのとき、ダイゴは思いもよらぬものを目にした。
 外れた手の中から、ぽろり、ぽろり、と真っ赤なルビーがこぼれ落ちる。そう、射しこんだ陽光を燦然と撥ね返しそして煌めく、真紅の宝石。
 女性の瞳はまるで絶望を目の当たりにしたときのように大きく見開かれ、うつくしい七色の虹彩が揺らいでいた。